「名」馬列伝(9) ビッグテースト
角田寿星

フルゲートの中山グランドジャンプ。いいメンバーが揃った。
圧倒的な1番人気は、目下3連勝中、当るところ敵なしの勢いで臨む、昨年の中山大障害勝ち馬ギルデットエージ。
次いで、連覇を狙ってオーストラリアから遠征してきた、昨年の中山GJ勝ち馬、セントスティーヴン。
3番人気は、前走の阪神JSを勝った、平地重賞勝ちもある古豪カネトシガバナー。
彼は今シーズン、1か月に1走のペースで使われて、3戦2勝、3着1回。
順調さを買われて、前述の3頭とはやや離れた4番人気だった。

水壕、大竹柵、大生け垣障害を飛越し、16頭がスタンド前を通りすぎていく。
1頭の落伍者も出さなかったことに、スタンドからささやかな拍手が湧き上がった。
上位人気の3頭はじりじりと順位をあげ、スタンド前では先頭集団を形成。
向こう正面では縦長の展開となり、3頭による決着を誰もが予測した。

最後のコーナーを曲がり直線に向かうところで、彼が差し脚を伸ばしていく。
最終障害、そして直線で、1頭、2頭とかわしていき、ついに最後の1頭。逃げ込みを図るギルデットエージを捉える。
ギルデットエージを1と1/2馬身突き放したところで、ゴール。レコードタイム。
彼の一世一代の激走だった。

1頭も落馬することなく、フルゲート16頭、全頭が完走した。いい勝負だった。
偉大な種牡馬だったノーザンテースト産駒の、久々のG1勝ちだった。
そして、われわれが少なからぬ勇気をもらった騎手の、記念すべきG1勝利だった。


常石勝義。
96年デビュー。のちに「花の12期生」と呼ばれる世代である。
乗れる騎手だった。デビュー5か月で12勝をあげた。
しかし、その年に落馬事故。脳挫傷で意識不明の重体となる。
意識不明の間も、競馬中継に体が反応したらしい。
意識を取り戻した第一声が「いつ馬に乗れますか」だったらしい。
落馬から半年後、奇跡的な復活を遂げた常石騎手は、重賞1勝を含む23勝をあげる。

その後、常石は障害レースにも騎乗するようになる。
言うまでもないが、障害レースは平地に比べ、はるかに落馬事故の危険が高い。
意識不明になるほどの大事故を経験し、後遺症もまだ癒えないというのに。
そんな常石の勇気ある選択に、関係者からもファンからも惜しみない応援の声が送られた。
オースミコスモという、所属厩舎期待の、クラシック戦線でも勝負になるような、いい牝馬にも巡り合えた。
そんな中での、G1レース勝利だった。

しかしその翌年。再び落馬。障害レースでの出来事だった。
脳挫傷、外傷性くも膜下出血、頭蓋内血腫で、意識不明の重体。
意識の戻ったのが1か月後というから、生半可な事故ではない。
それでも常石はあきらめず、復活のためのリハビリに励むが、ついにドクターストップ。
引退を決意する。2度目の落馬事故から、2年半が経っていた。

通常、騎手の引退は、よほどの活躍や功労がないかぎり、ひっそりと行われるのが常である。
が、常石の場合は違った。わずか通算82勝の騎手の、引退式が開催された。
「花の12期生」と呼ばれる同期の福永、和田らの呼びかけによるものだった。
和田が涙で声を詰まらせながら、常石のプロフィールを読み上げる。
武豊も出席し、花束を贈呈する。
「生きることは素晴らしい」と、常石は感謝のことばを告げた。ささやかながら晴れがましい引退式だった。
彼の周囲には必ず人がいた。そして有形無形のエールが絶えず送られた。
その才能に比して、あまり恵まれた騎手生活は過ごせなかった彼であったが、
彼の人生そのものは、けして不遇なものにはならないだろうと、強く予感する。

ビッグテースト 1998.3.9生
平地7戦1勝 障害18戦5勝
中山グランドジャンプ(JG1)

常石勝義 1503戦82勝(うち障害181戦15勝)
重賞3勝(小倉3歳S、中山GJ、関屋記念)


散文(批評随筆小説等) 「名」馬列伝(9) ビッグテースト Copyright 角田寿星 2009-10-01 23:14:11
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