国債についてはマルクスがそのろくでもなさを次のように語っている。
《国債は、その年々の利子などの支払に充当すべき国家の収入を支柱とするものであるから、近代的租税制度は国債制度の必然的な補足物になった。国債によって、政府はただちに納税者にそれと感じさせることなしに臨時の費用を支出することができるのであるが、しかしその結果はやはり増税が必要となる。》(『資本論』第一部第七篇第二十四章第六節「産業資本家の創世記」、新日本出版社)
さらに続く。
《他方、つぎつぎに契約される負債の累積によって引き起こされる増税のために、政府は新たな臨時支出をするときにはいつでも新たに起債することを余儀なくされる。それゆえ、生活最必需品にたいする課税(したがってその騰貴)を回転軸とする近代的国家財政は、それ自身のうちに自動的累進の萌芽をはらんでいる。過重課税は偶発事ではなく、むしろ原則である。》(『資本論』同前)
マルクスによれば、その使用が富の所在に偏りをもたらすところの国債であるが、1930年代の大不況にいちおうの「解答」を与えたとされるケインズ主義とは、この国債の増発を恒常化させるものだったという。
《国債の歴史のうえで転機となったのは、第一次大戦後の相対的安定期の後各国を襲った大恐慌と、それにつづく30年代の長期の不況であった。不況が深まる中で伝統的な健全財政政策は放棄され、管理通貨制度と不可分のもとに、ケインズやハンセンらの提唱したいわゆる恐慌克服のためのスペンディング・ポリシー政策が採用されるにいたったことは周知の通りである。国債の発行による政府支出の効用が積極的にうたわれるようになったのである。》(『国 債―その本質と役割』根岸 洋一
http://members3.jcom.home.ne.jp/wing-pub/capital/capi-9.html)
ところで、柄谷行人はこの政策を推し進めた主体として「社会的総資本」をあげ、それについて次のように述べている。
《ケインズは、有効需要を作り出すことによって、慢性的不況(資本主義の危機)を乗り越えられると考えた。これはたんに国家の重商主義的介入ではなく、社会的総資本が国家という形で登場したことを意味する。マルクスが指摘したように、資本家は自分の労働者にはなるべく賃金を払いたくないが、他の資本家にはその労働者に多く払ってほしいと願う。他の資本の労働者は消費者としてあらわれるからだ。だが、すべての資本家がそうするなら、不況が続き、失業者が氾濫し、資本主義体制の危機となる。そこで、総資本が個別資本のそのような態度を逆転させたのだ。大量生産、高賃金、大量消費、というフォーディズムがそれである。》(『トランスクリティーク』【第二部】マルクス 第4章 2 可能なるコミュニズム、柄谷行人、批評空間)
それにしても、「国家という形で登場した」という社会的総資本とは何であるのか。戦前の社会政策の研究者である大河内一男は次のように述べている。
《もともと個別資本に対置せしめられた社会的総資本といふのは一つの抽象であり、経済の平準的循環を資本制経済の条件の下に確保しようとする場合にみたされなければならない諸条件を指称するものであって、それが「資本」といふ表現を与へられていゐるのは個別資本に対する比喩的意味に於てであり、厳密に言へば社会的総「資本」の立場は、資本の個別資本的営利性が否定せられるところにはじめて成立する概念だと言へよう。またその限りに於て、総資本の立場を代表し得るものはただ国家あるのみである。》(『大河内一男「社会政策の形而上学―エドゥアルト・ハイマンの社会政策論を評す」(1937)』上村泰裕
http://www.lit.nagoya-u.ac.jp/~kamimura/oukouchi.pdf#search='大河内一男')
はたして「社会的総資本」はたんなる「抽象」と片づけられるものであろうか。
《「総資本」とは、中央行政官僚制なのか、内閣-与党なのか、それ以外のものなのか…》(稲上毅 同前)
「総資本の立場を代表し得るもの」が国家であるどころか、国家をも超えた主体としての「世界総資本」とでもいうべきものが実在するように思えてならない。