紅茶が冷めるまで
小川 葉

 
 
こうちゃんがいる
淹れたての
紅茶の湯気の向こうにいると
寝言を言って
祖母は祖父を追うように
逝ってしまった

けれども祖父は
こうちゃんという
名前ではなかった

むかし
僕が五歳くらいの頃
祖母が知らない子供を連れてきて
一緒に遊んだと
母に話すと
そんな子は知らないと
強く否定したから
大人の事情のような気がして
二度と聞くことはなかった
その子供と一緒に撮った
写真があったはずだけど
そのことさえ夢のように
定かではない

祖母が僕と
血がつながってないと知った
ものごころついた頃
その意味もわからずに
九九を練習していた

八×八=六十四
ばっぱ、ろくじゅうし

祖母はまだ五十代で
まだ六十四歳ではなかったけど
自分もいつか
六十四歳になるのだな
というような
顔をして
遠い目で
幼い僕を見つめて
頭を撫でてくれていた
そのことがまるで
昨日のようだ

祖母が後妻だと
はっきり知ったのは
それからずいぶんたって
僕が大人になった頃だけど

紅茶なんて飲むことのなかった
祖母が死ぬ前に飲みたかった
一杯の紅茶は
命とともに冷めていって
こうちゃんが誰なのか
今も知らない

これからも知らなくていい
過去があるから
家族であることができた
時代があったのだと
あの頃を思い出すように
今もあるような気がしている
 
 


自由詩 紅茶が冷めるまで Copyright 小川 葉 2009-08-25 05:23:12
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