スクレロフォビィ
若原光彦

こういう場所に来ると
スクレロフォビィによく会う
スクレロフォビィが
いちばんいなさそうな場所なのにね
なぜか集まってるのは
スクレロフォビィばっかりだったりする

   *

私達が
全てと呼ぶもの
それが私達の全てだ

私達には
とんでもない力がある

その程度だ

   *

ねえスクレロフォビィ
こういうの知ってるかい

人間の体の70%は 水でできている

でも水じゃあないんだよ
それは水とは言わない

人間の体の70%は水でできている
なんて言う人は
人間より水のほうがきれいだと思ってる


たしかに
水はこんなこと言わないもんね

人間が
増えすぎたんだ

それは自然なことだよ

   *

あらゆる生きものの死因は
たったひとつしかない
取り返しがつかくなったからだ

あなたの父は 母は
取り返しのつかないことをした

いずれ死ぬだろう

あなたも
取り返しのつかないことをしている

   *

ねえスクレロフォビィ
僕たちは
ほかの生きものを食らって生きてる

それはいいんだ
人間だって生きものだもの
そんなことが言いたいんじゃなくて
そうじゃなくて

あのさ
神さまは
何人ぶんの命でできてるんだろう

どうして誰もこのことを言わないんだろう

きみはどう考える 僕はそう思うね

   *

世界じゅうの
いい匂いがするものを集めて
香水を作ったんだ

ごらん
それがあの茶色い
うんこなんだよ

私達は
みんな危険で

それなのに私達が平然としていられるのは

私達が
危険だからにほかならない

   *

スクレロフォビィ
僕はね
もっと鈍感になりたかったんだ

でもそんなふうに考えてたのは
僕が鈍感だったからって気もするんだな

スクレロフォビィ
教えておこう
きみは病気だ
スクレロフォビィは病気だ

   *

全ての痛みに効く
痛み止めはない

そのことが
私達の痛みをやわらげる
あるいは深める

あなただけが辛いのではない
あなたはひとりではない
それ以下だ

どうでもいい人なんて
この世のなかにひとりもいない

だからあなたのことはどうでもいいんだ

   *

ねえスクレロフォビィ
僕たちは
数に数えられない
はっきりしてるのは
はっきりしてないってことだけだ

スクレロフォビィについて書かれたものはたくさんあるけど
それはみーんな
何がスクレロフォビィでないか
いかに誰しもがスクレロフォビィか
ってことを書いてるだけだ

そしてそうやってくとね
スクレロフォビィなんて
どこにもいなかったんだってことになっちまうんだよ

いつか
きみは忘れるだろう
スクレロフォビィとは何なのかってことを
どこかに誰かがいないなら
その誰かはどこでどうしてるのかってことを
いないわけじゃないんだってことを
スクレロフォビィ
今を憶えておくべきだ
だってきみはいるんだから

   *

私達が問題にしていること
それは問題だ

私達が問題にしていないこと
それも問題だ

私達には問題がある

でもそれは
誰の問題なんだろう

私は問題になどしなかった
私が問題だったから

私が問題になっていたとき
私はそこにいなかった
だからそこには
何の問題もなかった

このお話は次のように書き出されている

これは
言葉ではない

言葉の問題だ

たとえば

たとえない


自由詩 スクレロフォビィ Copyright 若原光彦 2009-08-23 21:25:16
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