カラーバット
光井 新

? 公園
  
嗚呼、どこまでも芝生。だだっ広い自然公園。
青空には綿アメみたいな雲。
その下に一本の木。
その木から少し離れた所で、一人の男の子が黄色いカラーバットをブンブン素振りしている。

 男の子「ぼくはわがやのかいじゅうだー、あばれるぞ、あばれるぞ、あばれるぞー」
  
男の子は素振りを止め、木の方へ歩き出す。



? 野球場
  
スタンドから大観衆が見守る中、ニューヨークヤンキースのユニフォームを着た男の子が、ゆっくりと呼吸を整えながらバッターボックスへ向かっていく。背番号は55。
男の子はバッターボックスに入ると、松井秀喜のモノマネをする。集中力は十二分。そこへ、
ピッチャー松坂投げました!



? ?と同じ
  
空振り。バットは狙っていた蝉を捕らえられず、木を擦るヂヂッという音が虚しく響く。
次の瞬間、男の子は、飛んで逃げていった蝉に小便をひっかけられる。

 男の子「あうつっ」
  
男の子はムシャクシャして、何度も何度もカラーバットで木を思いきり叩く。
そのフォームは全身に力が入り過ぎていて、ギクシャクしている。関節という関節は硬く、ロボットのよう。とても松井秀喜には見えない。
掌に湿る汗。バットがすっぽ抜けないように、ガチガチに力一杯握っている。手首は特に硬い。

 男の子「ぼくのばっとはきいろー、げんきいっぱいのきいろー。おにいちゃんのはあおー、ろくさいになってもおかあさんのおっぱいすってるえろすけのー、えろちっくぶるー」
  
と言いながら、木の根元に転がっている青いカラーバットを左手で拾い、そのまま左手には青いカラーバットを握る。
右手には黄色、左手には青のカラーバットを握った状態の二刀流。フォームも何も関係無く、滅茶苦茶に、腕の力任せで激しく木を叩く。



? テレビ画面の中
  
目撃者の証言。という文字が、バン! と出ている。
モザイク女は語る。

 モザイク女「元気いっぱいというよりは、ちょっと異常な感じでしたね。ハイっていうか、眼とかイっちゃってる感じで」


? ?と同じ
  
?のつづき。
もはや男の子が手に持って振り回しているベロンベロンのそれは、バットでも何でもない。あれは昆布だ。黄色と青の昆布だ。男の子は昆布を振り回している。
荒れ狂う情熱。飛び散る汗。「輝いて……いいな、いいな、青春っていいな。君はきっとメジャーリーガーにもなれる」そう思わせるような美しさがある。

 男の子「よさくはき〜をきる〜」
  
「与作」を歌いながら、リズムに合わせて「へいへいほー」べチンべチンと、男の子は昆布で木を叩く。
ノってきて気持ち良くなってきたところで、母と兄登場。母は大きなお腹を手で抑えながら、兄は母の服を摘みながら、ゆっくりと歩いてくる。
ある程度近付いてきたところで、兄は、昆布に変わり果てた自分のバットに気がつき、男の子の元へ全速力で駆け寄り、怒りに震えながら、男の子の左腕を強く掴む。

 男の子「あぁん? はなせよ! せっかっくきもちよくなってきたのに、じゃますんじゃねーよ」
 兄「ふざけんじゃねーよ、あやまれよ」
 男の子「はなせっつってんだよ! さわんじゃねーよ、きもいんだよ、まざこんやろー」
  
男の子は右手に持っている昆布で兄を叩く。ベチンベチンと何度も叩く。
兄は掴んでいた男の子の左腕を離し、母に泣きつく。

 兄「うわーんっ」
  
母は兄の事をさすりながら、

 母「どうしてこんな事するの? もうすぐお兄ちゃんになるんだから、しっかりしなきゃダメでしょ」
  
と言って、太もも辺りに兄を付けたまま、ゆっくりと男の子の方へ近付く。

 男の子「うっせー、くそばばー、ぶっころすぞ!」
  
男の子はポケットから豆肥後守を取り出し、刃先を母に向けて構える。

 男の子「ちかづくんじゃねー、ぼくはまじだぞ。ぼくはおにいちゃんになんかなりたくないんだ、それいじょうちかづくと、そのおなかをきっちゃうぞ!」
 母「それは触っちゃダメって言ったでしょ! 危ないでしょ! 怪我したらどうすんの? 刃をしまってこっちに渡しなさい」
  
と言って、母は立ち止まり、男の子にそっと手を伸ばす。

 男の子「うっせーなー、まじだっていってんだろ、ぶっころしてやんよ」
 母「お父さんに言いつけるよ! たっぷりと叱ってもらうからね!」
 男の子「ごめんなさい」
  
男の子は泣きながら、刃をしまい、豆肥後守を母に渡す。



? テレビ画面
  
アニメのワンシーン。少年がナイフで人を殺すシーン。



? 家・リビング
  
そのアニメを、男の子と兄が並んで仲良く、夢中になって観ている。

 男の子「すげー」
  
その時、玄関の方から父の声が響く。

 父の声「ただいまー」
 兄「あ、おとうさんだ」
  
兄はテレビを観るのを止めて、立ちあがり、玄関の方へ駆けて行く。
男の子は無表情でテレビ画面を見つめたまま、ぶるぶる震えている。そして、股間がじわりと濡れていく。



? 同・玄関
 兄「おかえりなさい」
  
と言って父に飛びつく。
母が台所の方から出てくる。

 母「おかえりなさい」
 父「今日はカレーかぁ、丁度食べたいなぁなんて思ってたんだよ」
  
父は兄の頭をナデナデしながら、

 父「そういえば、ミニラのヤツはどうした? 今日は出迎え無しか?」
  
と言って、寂しそうな表情をする。
母は父の鞄を取り、困った表情で、

 母「実はね、あの子ったら今日ね……」
  
ドンガラガッシャーンッ! リビングの方で激しい物音が!
凍り付く三人。



? 同・廊下・リビング入り口前
  
床に倒れたテレビ。ひっくり返った固定電話機。割れた窓ガラス。そんな光景が! 三人が廊下からリビングのドアを開けて目にしたものだった。三人は、ただただ呆然と眺める。
男の子はゴルフクラブを振り回している。長過ぎて、重過ぎて、もうコントロールできなくて、とにかく出鱈目に振り回す。というより振り回されている。ガシャン! ガチャン! バキャッ!

 父「どうしちまったんだアイツは?」
 母「それがね、今日ちょっと色々あって……」
 兄「おとうさん、あいつきょうぼくのばっとこわしたんだよー」
  
父は手で、兄と母を廊下の後ろの方へ下げる。

 父「お前が悪いんだ、お前が。お前が甘やかすから、だから。カラーバットはまだ早いって言っただろ」
 母「それだけじゃないの、ナイフも……」
 父「ナイフ! 何を考えてるんだ、アイツは?」
 母「それで今日、お父さんに叱ってもらうって言ったものだから、多分、お父さんに怒られるのが怖くて暴れてるんだと思うの」
 父「それにしても、アイツあんなに力があったのか。子供相手だからってナメて掛かって、怪我とかしてもしょうがねぇし、今は手が付けらんねぇな」
 母「あの子、カラーバットに砂詰めて、毎日朝から晩まで素振りしてんのよ」
 父「なんでそんな事してんだよ? その練習方法、お前が教えたのか?」
 母「だって、メジャーリーガーになりたいって、あの子があまりにも眼を輝かせて言うものだから」
 父「まぁそのうち疲れんだろ、おとなしくなったら俺が取り押さえるから。お前らはここに居ろ。明日は会社休むから、病院連れてこう」
 兄「おとうさん! どうしよう! じーたーがいないよ、まだあのなかにいるのかな? あぶないよ、じーたーがしんじゃうよ。たすけなきゃ!」
 父「心配すんな、ジーターは素ばしっこい、きっと大丈夫だ。」
  
ドンッ! バキッ! グチャッ!

 犬の声「キャゥーンッ」
  
(キャゥーン、キャゥーン、キャゥーン)

 兄「じーたーっ!」
 父「行くな! まだダメだ!」
  
泣きながらリビングの中へ入ろうとする兄を、父が必死におさえる。
そこに、ぐちゃぐちゃになったジーター(ペットのミニチュアダックスフント)が飛んで来る。血まみれでぐちゃぐちゃの、よく解らない形の毛の塊は、飛んで来た勢いで廊下の壁に貼りついたまま、ピクリとも動かない。
兄はわんわん泣き喚く。

 母「ちょっとこれ、警察に電話した方がいいんじゃない?」
 父「大丈夫だ。ほら、もうおとなしくなった。」
  
静かになったリビングに父が踏み込む。



? 同・リビング
  
部屋の中はもう何が何だかわからない。疲れ果てた男の子が、杖のように立てたゴルフクラブに寄り掛かっている。
父は一歩踏み込む。が、力を振り絞った男の子のゴルフクラブが一閃。紙一重で交わした父は、後ずさりしてしまう。

 父「もう止めろ! 物はいつか壊れる、壊れたらまた新しい物を買えばいい。だけど命は、命はとり返しがつかないんだぞ。お前はジーターを殺してしまったんだ! 解ってるのか?」
 男の子「わかってるよ! わかっててやってんだよ、みんなぶっころしてやる。じーたーみただろ? ぼくはまじだ。いつまでもこどもあつかいすんなよ! びびってるくせにちちおやづらすんなよな! むかつくんだよっ! あーっ!」
  
男の子はゴルフクラブを振り回す。
しかしキレた父はお構いなしに近付いていく。右肩、左肘、と二発目が殴られたところでゴルフクラブを掴む。そして一気に距離を詰めて、男の子を取り押さえる。

 男の子「ごめんなさいー」
  
父に取り押さえられた男の子は、泣いて謝る。
しかし父は許さない。父の怒りはおさまらない。



? 同・浴室
  
父は男の子の頭を掴んで浴槽に沈める。



? 海の中
  
ブクブクと泡だけが見える。他には何も見えない。
どんどん深く沈んでいく。
あ、昆布。



? 病院・男の子の病室
  
目覚めるとそこは病院のベッドの上で、五歳だった男の子は二十歳位の青年になっていた。
個室になっていて、窓には鉄格子が掛けられている。起き上がると手錠と足枷が付けられている事に気がつく。

 何だか解らない何かの声「うぎゃぎゃぎゃぎゃーっ!」
  
隣の部屋から奇声が聞こえる。

 教授「やっと目が覚めたか、A-02」
 青年「ここはどこなんだ? 僕は一体? 教えてくれ! 何も思い出せない!」
 教授「そんな事より、気分はどうだ?」
 青年「キブン……イジョウアリマセン、セイジョウデス」


おわり


自由詩 カラーバット Copyright 光井 新 2009-08-18 17:08:22
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