ジッパーで世界は隔てられている
瀬崎 虎彦

神妙にいたすしかない
まどろっこしい夢の淵で
足を踏み外し一路はるばると
緑のさやを開いていく

ジッパーで世界は
夢とこちらに隔てられている
片側通行でないので
夜は眠る決まりなのだ

今年の一月フランスで
着いたら一面の雪で
気温も零下で寒い

キレイとか思う余裕
全くなかった
ただ早く逃げたかった

暑さ寒さを逃れるために
場所を移動するという発想は
昔の人にはなかったけれど
その場合やはり夢に逃げたのであろうな

唐突に街路樹が折れていて
一本だけ道をふさいでいるので
ああこれは現実離れしているが
現実のことなのだと夢のように思う

起きているときの自分の身体を
明晰に意識し感覚しているかというと
まったくそんなことはなくって

体の軽さや重さというものは
眼を閉じたり電気を消して
浴槽に浮かんでいると分かることだ

何も自分は不自由でないのに
嫌な気持ちになる映像を見て
自己嫌悪に陥るのはまさに
甘えている証拠なのだろうが

裸の女の子が色々と虐げられて
自分の排泄物を食すシーンを
何回も巻き戻して見て
嘔吐してそれさえも彼女の食物

力は目に見えないから抑圧しても
責任逃れできる便利な道具で
そういうのは全部消尽してしまえばいいのに

現実世界でも利権やらあるのだし
夢でも現でもそういう不可視のルールは
同じように有効性を保つはず

ジッパーで世界は隔てられている
しかし一線を越えるのは優しい
どこでも眠れる特技の持ち主は
電車の中で悪夢を大胆に展開する

怖いというのは何が怖いのか
怖くないものが怖いときが怖く
身近なものが身近でない不気味さを
目撃するのが怖くて眼を閉じたはずなのだが

まぶたの裏側にべったりと黒人の
精液が張りついていて
でも白人の精液も張りついてて

自分の中に他人の肝臓を埋め込まれるような
隣の席に座った男の体臭を
直接血液に注入されるような夢うつつ

まだフランスにいて明日は墓地を
見に行こうと思っているのだが
せっかくパリにいるのだし雪を踏んで
エッフェル塔を見に行ったら人また人

馬鹿馬鹿しくなって地下鉄に乗って帰ってきたら
駅を一つ間違えてバスティーユまで行ってしまう
そこからオステルリッツに引き返したら
去年公開されたアニメ映画のポスターを見て写真を撮る

プシュっという音よりもグシャッという音で
フランス訛りの地下鉄はドアを開く
これもまたジッパーの一つに違いないと確信する

どれだけ意識的になっても今からでは
人の肉体と自分の肉体を判別できない
同じ肉体の同じ悪臭の中で眠ってしまうから

緑色の悪魔中性子の悪魔
肌をただれさせる悪魔
喰らいながら喰らわれる
反転する内臓の悪魔

物見遊山の絶望と異邦人らしさで
足元に鳴く雪の甲高い声
まさか雪に包まれたヴェルサイユの庭園を
ランナー達と走ることになろうとは

正義があれば屠ってよいか
そのような問いの異常性を
看過したままの異常性

瞼を開いたまま危惧で固定されて
瞬きすることも出来ず縛り付けられた
それから光を失った

長い睫の生え揃った瞼も
ジッパーの隠喩に違いない
隣接し弧絶する君の悪い
世界に開いた穴に違いない

無意味に落葉する自然を裂いて
複数の人間を一つの入れ物にする
化学的な鉄槌を下して記憶しない
記憶が欠落してその穴にかさぶた

かさぶたもジッパーで出来ている
ジッパーはかさぶたで出来ている
女の性器と叢生する恥毛もジッパー

悪に充溢する世界へと
さらなる悪を注ぎ込み
穴の中からまた悪を生み出す男と女

ルフトハンザと提携したエール・フランス
ライプニッツが完全に普遍なる言語を夢想し
エコノミークラスの席で縮こまって
人種差別の混浴風呂に入っている

そうだアフリカへ行くのだ
黄熱病とマラリアとエイズの
経血が大地を潤す卑猥な大陸
犯されすぎて生み出せなくなった巨大な女性器

殺されすぎて若者も老人も男も女もいない
そこには怯えた目をした哀しみだけが
明け方の街頭に集まる蛾のように震えている

ボタンなら掛け違えても気づきさえすれば
このジッパーは初めから世界を
隔てるために大海を引き裂いている

脳に穴を穿つのは怖いので
意気地なしの僕は詩を書いた
意味のない死はないという弁解を差し挟まずに
失われた命に宛てて何篇も詩を書いた


自由詩 ジッパーで世界は隔てられている Copyright 瀬崎 虎彦 2009-08-17 09:56:25
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