「B-29は頭上を通り過ぎていきました。」〜祖母の記憶
夏嶋 真子
「見て、B-29よ。」
一九四五年のある夏の日、
私の頭上にあるのは夢でも希望でもなく
死神の翼でした。
終戦間近、戦火を免れ長閑さの残る片田舎の少女だった私に
戦闘機の名前など区別できるはずもありません。
敵の飛行機すべてをラジオで聞いた、
「B-29」と呼んでいたのです。
死神の恐ろしい呪文をきくような気持ちで。
その日、私はいつものように病院へ向う途中でした。
馬車との接触事故で怪我を負い歩くことができない私を、
十一歳年上の姉がリヤカーに乗せ毎日のように
何キロも離れた病院へ連れて行ってくれたのです。
年の離れた姉は私をそれは可愛がってくれました。
優しい優しい私のお姉さん。
姉は私の”小さな母親”でもあったのです。
姉の引くリアカーが田畑の広がる一本道から、
小さな町にさしかかろうとした時でした。
けたたましく鳴るサイレンの音。
その空襲警報を切り裂くように轟音が響き渡り、
私は澄み渡る青い空に黒い翼が迫ってくるのを
はっきりと見ました。
当時、戦闘機は人影を見つけ次第、女だろうが子どもだろうが
容赦なく爆弾や機関砲を打ち込んでくると信じられていたので
私たちはとにかく身を隠す必要がありました。
「見て、B-29よ。」
そう言った姉さんは次の瞬間、
リヤカーと私を置き去りにして走り出していました。
草むらの奥へ姉の姿は消え、空から見ればまるで「的」のように
打ってくださいといわんばかりの私が取り残されました。
裏切られた、とは思いませんでした。
私を背負って逃げれば、2人とも助からないでしょう。
それでも姉に見放されたことは悲しくて悲しくて、
その悲しみは、不条理なものへの怒りにかわっていきました。
(もうどうにもできない。
私はここで死ぬんだね。
なんのために。
なんのために私は死ぬの。
そう思いながら今までたくさんの人が死んだんでしょうね。
悔しかったでしょうね。
寂しかったでしょうね。
恐ろしかったでしょうね。
苦しかったでしょうね。
わたしもそこへ行くんだね。)
動けない私は全てを諦めてリヤカーの上で大の字になりました。
真夏の空は時が止まったように青く美しく
私は空を吸い込もうとして大きく息をしました。
その呼気の中を、B-29はゆっくりと進んでいきます。
それはほんの一瞬の出来事だったはずですが、
脳裏にこびりついて離れないのです。
写真のように記憶に残る死神は私を見据え冷たく笑っていました。
抗いようもない運命の時、
私は目を閉じて姉のことを思いました。
(姉さん、姉さんはちゃんと逃げられたのかしら。
さようなら、優しい優しい私のお姉さん。)
再び目を開けたとき、B-29は頭上を通り過ぎていきました。
死神が通り過ぎると姉は一目散に駆け寄ってきて
「ごめんねぇ、ごめんねぇ。」
と私を抱き寄せて泣きました。
私は姉にすがりつくように、慰めるように、
許すように泣きました。
その夜、町は、私と同じ年頃で同じ名前の女教師が
国民学校で空襲に巻き込まれた、
というニュースで持ちきりでした。
生きている私と
機関砲で打ち抜かれた先生。
同じ名前の私たち。
私の頭上を通り過ぎ、もう一人の私を打ち抜いた死神を思うとき
私の戦争は決して終わりはしないのです。