一葉の札
光井 新

 五千円貰った。とても嬉しかった。名も無き私が、初めて自分の力でお金を稼いだ。
 今時五千円といったら、他人様から見ると大した金額ではないであろう。しかし貧しい私にとっては、大金である。
 その大金は私の地道な努力の果報、宝物として、一生使わずにとっておきたい、という思いもある。しかしお金はお金、使ってこそ意味がある。
 一体何に使おうか? いつの時代も、貧乏人とはいざ大金を手に入れると、慣れない金の使い道に頭を悩ませるものである。

 ここはやはり、家族のために使おうか?
 私達家族は、こちらに来てからそういえば今まで、現金というものを殆ど使った事が無かった。現金を殆ど持っていない私達家族にとって、それは当然の事なのだが。
 皆、だらしのない家長に文句一つ言わず、慎ましく暮らしてきた。とても良くできた、私にとって自慢の家族である。
 そんな様子を、神様はちゃんと見てくださっているのか、私達は食べるのに苦労した事がない。先祖から受け継いだ田んぼや畑があるのだが、私達家族がこちらに来てからは、不作の季節などはまだ一度もないのだ。
 それと何といってもやはり、病に倒れて以来、あまり野良仕事には出られなくなってしまった私の分まで、毎日懸命に働いてくれている妻のおかげであろう。
 ここは一つ、妻のために使おうか? 何が良いか、直接妻に聞いてみようか? しかしあの健気な妻の事だ、きっと自分よりも一人息子のために、と言うに違いない。そんな台詞をわざわざ言わせてしまっては、妻の誇りも私の誇りも、この五千円札の持つ価値も、すべて汚してしまう結果になりかねない。
 では、大事な大事な一人息子のために使うとしようか? まだ七歳の子供には、大そうな誇りというのを持たせるのは少し早い。それよりも何よりも、今は少しくらいのわがままを持って、この頼りない父に甘えて欲しいなどと、他人様から「宮澤賢治のようだ」と言われる私にも少しばかり、父としてのわがままがあるのだ。カーボンなんかでできた立派な釣竿でも、買い与えようかしら。食卓に魚が上がる回数が増える事を期待するというのもあるが、ちゃんと親孝行させてあげたいという、親不孝者だった私の親心でもあるのだ。私は毎朝、墓参りの度に、親が生きているうちに親孝行をしておけば良かった、と後悔している。そんな思いを息子にはさせたくないのだ。しかしよくよく子供の事を考えてみれば、釣竿も浮きも、私の手で作った物こそが良いのであろう。この辺りでは、子供達ばかりではなく、大人の釣り人からも中々評判が良いのだから。釣竿でないとすればおもちゃか? しかしおもちゃも、手作りの物で遊んで育ってほしい、と父は願っているのだ。あと何年かしたら、この父よりも上手く、器用におもちゃや釣具や簡単な家具などを作れるくらいに成長してほしい、などと密かに楽しみにしていたりするのだ。息子にも、五千円の使い道はないようである。
 どうやら、たった五千円さえ使う事ができない程に、私達家族の心は裕福になってしまったらしい。
 こうなったら、東京から毎月現金を仕送りしてくれてる弟に、米や野菜や山菜や竹の子などと一緒に、この五千円札を段ボール箱に入れて、送りつけてやろうか? いや、そんなくだらない事をしては、またしつこく説教されてしまうであろう。兄弟愛、何か良い兄弟愛の形を、考えなくては……中学の時、この家で一緒に暮らしていた時のように、煙草をやろうか、煙草を買って送ってやろうか? いや、タ煙草は体に悪い。私のように肺病になってしまっては困るであろう。よし、弟には、体に良い百薬の長、我が家特製の枇杷酒と梅酒を送っといてやろう。大丈夫、私とは違いお行儀の良い弟ならば、酒で体を壊す心配もないであろう。弟にはそれが良い。
 はてさて、この五千円札は一体どうしたものか? 誰か困っている人がいれば、そのために使ってやりたいものだ。こんなお気楽な私に、世間からは「弟からお金を貰っておいて……」という声も聞こえてきそうだが、私達家族はちゃんと米や野菜を送っているのだ。私達は誇り高き農民だ! どうか理解してほしい。私達家族はちゃんと農業で生計を立てている。商売というのかしら、その相手が親戚という事もあって、普通に出荷するよりも、お金は多めに貰っている。しかしそれは微々たる額で、親戚からしてみれば、販売店なんかで買うよりもずっと安い。商品に見合った、自分達の仕事に見合ったものなのだ。
 この五千円は、私達家族が生きていく上で必要ではないもの。この五千円は、親戚からではなく、世間から、社会から稼いだもの。その事は、もう夏だというのに今もこうして咳き込みながら、畑で汗を流す妻の姿を、ただただ眺める事しかできない私にとっては、とても価値のある事なのだ。
 嗚呼、その価値に見合った、価値のある使い方を。
 私達家族は、この五千円が無くても、ちゃんと生きていけるのだから。誰か困っている人がいれば、その人のために。
 それが私の、もう一つの、農民とは別の、真新しい誇り。

 こんなくだらない作り話を、ブサイクなキャバ嬢達に聴かせて、高くて不味い酒を飲みながら、誇りも何もあったものではない、価値のない一時間に五千円を使ってしまおうか?
 文学キャバ嬢は、きっとしらける事であろう。
 私はきっと、恥を捨てて、文盲キャバ嬢とメールアドレスを交換しようとするに違いない。
 今夜は浴衣ナイトだからと、では私も、と浴衣のまま雪駄を履いて家を出た。浴衣で街を歩いていたら、人の視線が気になるからか、いつもは気にもとめないような事が、何故だか気になって仕方がなかった。目に入った高級果物店で、立派な桐の箱に入った桜桃が気になった。値札には、五千円と書いてあった。


自由詩 一葉の札 Copyright 光井 新 2009-07-07 13:54:43
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