雨中の虹
夏嶋 真子
6月25日 0:17am
パパとママが罵りあう声が床を転がってる。
なんで朝まで帰ってこないの、からはじまって
どんどん醜くなる言葉たち。やがて高周波に達する。
悲鳴は床にたたきつけられ
心が割れる音が鏡にうつるけど、あたしは笑ってみせた。
「そんなこと、どうでもいいの。」
あたしは今、恋に夢中。
感覚が忘れられなくて
胸の膨らみは熱で張裂けそう。
心臓の爆音をかき消すために
ボリュームをあげようとしたとき、
ママが、泣いてる。
やめて。
この胸の痛みは彼だけのものだから。
6月27日5時07分pm
彼のアパートにいる。
西日が強くて目を細める。
じっとりと部屋全体が汗ばんでる。
彼はパパより8つ年下で
パパみたいに、強くないし、だらしないけど、
やさしくて やさしくて やさしくて。
それだけの人かもしれない。
でも、あたしがいないとダメな人なの。
彼は揺りかごみたい。
直線はゆらゆらして、もうわたしを傷つけない。
どんな快楽でもあげるから
陽だまりみたいなキスをちょうだい。
ねぇ、パパ、あたし、娘だからわかるの。
パパは本当は彼よりずっと弱いって。
ママよりもずっと弱いって。
彼とキスするたび思うの。
「愛してるわ、パパ。」
6月30日7時11分am
テーブルの上には焼きたてのパン。
ママは気持ちの行き場がなくなると、パンをこねて焼く。
お気に入りのマグに注がれたミルクを手渡しながら、
天使みたいな笑みを浮かべてママは言ったの。
「親子だからって 愛情でつながっている必要なんてないのよ。」
ママの清清しい呼気に包まれて、
あたしの呼吸が荒くなる。
はやく、ビニール袋をちょうだい。
ゆっくり息をすってビニールがすぼむ。
(意味がわからない。)
パパとの仲はサイアクだけど
ママの愛を疑ったことなんてなかった。
今になってなんで?
ゆっくり息を吐いてビニールがふくらむ。
(意味がわからない。)
考えたらダメ
心に届く前に頭に言い聞かせる。
「そんなこと、どうでもいいの。」
と、三回唱えてビニールがすぼむ。
やがて、あたしたちがたどりついた安息は
無関心。
6月31日7時11分am
6月31日?
ケイタイの電波時計は確かにそう示してる。
これは神様があたしにくださった時間。
外は雨だけど 家の中はもっと土砂ぶりだから
あたしは家を飛び出す。
何のための一日?
昨日をやり直すため?
明日にはすべてが輝き出すのかも。
もうすぐ背中に翼がはえて
あの頃みたいにきっと笑える。
同日7時35分pm
変わらない街、変わらない人たち。
特別なことなんて何も起こらなかった。
6月31日、この奇妙な時間の中
奇跡ではなく、いつも通り今を重ねていく。
一秒も、一生も 今の中にあるのかな。
雨が、心の敏感な場所に降る。
雨よ、おまえが優しいから泣いてしまう。
まだ行かないで、離さないで。
青空は、涙の一粒も許してくれないから。
まっすぐに顔をあげたまま、あたしは歩く。
濡れそぼつ頬のその先で、雨の中に虹をみつけた。
これはあたしの小さなキセキ。
家路をたどる、ほの暗い闇を
虹花が照らす。
やがて明日は今になる。
さしあたって、あたしがするべきは
現国の宿題。