ReGreeeen!
ケンディ

#incは速読の訓練を受けた。

一日に何冊も本を読むことができるのが、

嬉しかった。

何冊かミステリー小説を買ってきた。

#incは一冊取り出し、表紙を眺めてみた。

「何分でこれを読みきってしまえるだろう」と

呟きながら、嬉しそうにぱらぱらと本をめくってみた。

偶然最後の決定的なページが開いて

それを眺めてしまった。

開いた2ページの決定的な情報が一気に

脳に入り、その本を読む意味が消滅してしまった。

#incは、あまりの腹立ちに、その本を

裏庭で焼いてしまった。

速読インストラクターであるget_I/O();が

自分のセミナーでいつも語る

小話である。

「速読の短所としてこんなことが

起こります」と言った。

ありえない事象を短所の一つとして

挙げることは、

要するに、長所ばかりで悪いことなど

一つもないと言っているにすぎないのだが、

get_I/O();はこのアメリカ的レトリックを

毎度繰り返すのだった。

get_I/O();は、「でも心配要りません」という。

「速読などそもそもインチキですから、#incの

失敗などそもそも起きません」と。心の中で。

そのようなエピソードを交えながら、

echo@f*ck男爵はサロンで自説を語る。

昔から人類は記憶術と速読という

はかない夢を追い、そして失敗してきた。

cut_mфther.com伯爵夫人はじめ、

数人は反論を展開した。

だがそれはテーマに対する興味であって、

敵意ではなかった。

だが、へそ曲がりのNu-Sは、

沈黙によってテーマそのものの破壊を企てていた。

彼は信じていた。

自分の沈黙が鉛の雨となって降り注いで、

飛び交っている文字、信号すべてに衝突して、

そして沈黙が訪れる、と。

Nu-Sは錬金術から既成宗教、

異国の魔術に至るまで、すべてを試す男だった。

彼は体得したツールをあらゆるシーンで

使ってみようとする、好奇心旺盛な若者であった。

ともかくNu-S^は不機嫌だった。

今日のK邸でのマスカレード・パーティには、

お目当てのJuliette嬢が来訪していた。

彼は以前、

「Justineの姉君とお会いでき光栄でございます」と

インモラルな発言をし、Juliette嬢の機嫌を

損ねてしまったことがあった。

今日Juliette嬢はNu-S^\と再会したとき、

左手を差し出した。

Nu-Sはこれを侮辱と取り憤りを感じた。

その左手を右手で握り返し、非難混じりの

挨拶を言った。

「Juliette嬢の小さな右のおてては

風邪を召されて今日は出てこられない

のでしょうか?

それともいずこの男爵の寝室に置き忘れましたか。

サロンの中にあるようでしたら、

ひとりひとりズボンを脱がして探すのに

協力いたしますよ、Justineの姉君殿。」

「Nu-S侯爵殿、わたくしの右手は

魔法使いにより呪いをかけられてしまいました。

右手の中指以外の指はすべて、

馬鹿者には見ることができませぬ。

ごらんのとおり。」

このように棘をはらませた文字列を

Nu-Sに送信しながら、

Juliette嬢は右手の中指を突き立てて見せた。

「中指以外は馬鹿者には見えませんのよ」

こういういきさつから、Nu-S@はずっと

機嫌を損ねていた。

サロンによく出入りしている哲学者の

ger-Heide-#Gは弁舌さわやかに

語っていた。

「American Beautyのレスターは

最期=最後、頭を銃で撃ち抜かれる際、

ナラティヴに語りました。

人は死ぬ瞬間、人生のすべてを思い出すとね。

それならば、あなた。あなたのその人生。

まさに今、生きていると思っているその体験は、

実は死の瞬間の回想なのかもしれませんね。

もしそうならば、赤ん坊として生まれた瞬間。

あるいは人生の最初の記憶は、

死ぬ瞬間に引き起こされた回想なのかもしれません。

それゆえに、赤ん坊、生の初めは、死の象徴です。

生の始まりは死の象徴なのです。

弾丸で撃たれる瞬間、己の最期を悟った瞬間、

その時に生の最初の記憶がReBooootされるなら、

それは生の象徴です。

それだから、死は、生の象徴なのです。

我々がAutobiographyないし

他人のBiographyを残したいと思うのは、

原始的欲求なのかもしれません...」

ger-Heide-#Gは奇妙なほどに、

助動詞の過去形(might)を多用する。

自信なさげにmightで仮説を積み上げていき、

そして大事なところでそっと断言する。

それなら大した検証や熟考のない仮説で

楽に自分の知見を示せるのだ。

サロンでの会話はそれで充分だと心得ているからだ。

彼は自虐的にこう思っている。

自分にとって主張とは、mightのfade outだと。

サロンにおける主張の良し悪しは、

mightのfade outの美しさにかかっている、と。

色男でもあるger-Heide-#Gは、この延長線上で、

奥方たちのドレスも美しくfade outさせることに

こだわるのだった。

「物質は色の延長である。そしてdressはmightの

延長である。物質の虚飾をはぎとる作業を

形而上学という」

彼は改めてAutobiographyの中で独自の

形而上学定義を述べるときのみ、

死の恐怖を忘れることができた。


散文(批評随筆小説等) ReGreeeen! Copyright ケンディ 2009-06-22 17:48:28
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