「希望の丘」
プル式

その町はいつも晴れていた
暖かな日差し、爽やかな風
青い空に、柔らかな雲
町外れの湖には
それらの全てが溶けだし
大きな森を育んでいた
青年はその湖に足を浸しながら
いつも遠い、見知らぬ街を描いていた

青年は画家だった
いや、その絵は誰が見るでも無く
たとえ見たとしても
何故だと問うばかりで
その絵には誰も価値など付けなかった
だから青年は画家では無かったのかも知れない
それでも青年は静かに目を細めながら
森を見つめ、町を見つめて絵を描き続けた
何処とも知れぬ、木々の無くなった森や
まるで巨大な墓石の様な街を描いた
その所々には、光る様な、赤や黄色が有ったが
決して、それは美しくは無く
目の前の湖畔の様に誰かの心を打つ事は無かった
何かを感じたとするなら
それはただ漠然とした恐怖感だった
町の人はそんな絵を忌み、それを描く青年を嫌った
そうしていつしか人は湖に近寄らなくなり
次第に青年の事を忘れていった
蝋燭が消える様に静かに忘れていった

青年は町に出なくなった
町で買い物をすることも無くなり
生活の全てを森で過ごす様になった
食べ物が無くなれば木の実を食べ
絵の具が無くなると草花を詰んだ
紙が無くなると木の皮を削り
そこに、煮出した草花の汁で絵を描いた
青年の絵にはもう、鮮やかな色彩など無かった
しかし絵は、まるで命を得た様に鮮やかに
恐ろしい何かを吐き出していた
腐り始めた林檎の様に薄黒く
抗えない何かをちらつかせていた

青年と呼ぶには歳を重ね過ぎた男は
いつしか、森の木々を描き始めた
柔らかな雲や、暖かな日差しと
緑の波にに浮かぶ、小さな美しい町
それから小さな虫や、草や、木の芽を描いた
決して鮮やかでは無い色彩は
本当に色とりどりな
やさしく力強い命に溢れていた

湖から見上げた空は銀色に光り
街にはいつも、黒い煙りと濁った空気が溢れていた
夜には明るく、赤や黄色のネオンが光り
時折、怪しげな舟が森に近づいては引き返して行った
しかし男のカンバスにはいつも
暖かな日差しや、爽やかな風
青い空と、そこに浮かぶ柔らかな雲
たくさんの草花や、たくさんの命
それらの全てが溶けだしていた
今はもう、何処とも知れないそれを
男は排水溝の臭いのする湖に
やはり足を浸しながら描いていた

街の喧騒から少し離れた場所に湖がある
対岸には昔、森があったそうだ
この街がまだ小さく、優しい風が吹いていた頃
そこにはとても偉い絵かきが住んでいて
草や、花や、そこにある、沢山の命と
小さく、美しかった町を描いていたのだそうだ
今、一枚だけ残っている絵は
この湖畔から見えた風景なのだろう
今は小さな工場が建っているその丘は
昔、希望の丘と呼ばれていたのだそうだ。


自由詩 「希望の丘」 Copyright プル式 2009-06-11 23:14:35
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