雨季
芳賀梨花子

 さよなら。ひとりぼっちで家にいたら、クーラーが熱い風を噴出して、私はなにもかもいやんなった。さよなら。町中が重い海風で湿っている夜になにかを考えるのはよそう。セイレーン、私は叫んだりしない。もう、二度と船乗りを誘ったりもしない。私はしばらくぶりに自転車に乗るんだ。船着場のない海辺の町の、仲間入りできない静かに寝静まった住宅街を抜けて、盛り場って言うほどじゃない海辺の町の駅前まで走る。おおかたシャッターが閉まっている商店街に、ぽつぽつとさえないネオンサインが輝いている。たぶん、それは、ちょっといかがわしいお店。セイレーン。町中のバーをまわれば友達がどっかで飲んでいて、私はきっと話し声を枕に眠りにつく。

さよなら

 私は、ひとり、終バスが行き過ぎたターミナルをぐるぐるとまわる。かもめみたいな白いホットパンツ。はみ出したお肉にサドルが食い込む。酔っぱらいに「おねーちゃん」と声をかけられた。私はクソオヤジにはクソオヤジと言い捨てる。あんたの声を聞きたかったわけじゃないんだ。悪いね、クソオヤジ。そして、教会へ続く路地へ、ペダルを思いっきりこいだ。海まで500メートルぐらいのところに佇む闇があって、その闇に埋もれることない白いイエズス様が、私は好きだ。子供の頃、むかいの図書館に行くといっては、暗くなるまでイエズス様を眺めていた。でも、今夜は教会の庭に咲く露草を摘む。明日は雨がひどく降るだろう。私が生まれた日のように。

今宵の空に
星が、月が、朧に輝く
どこに行けば
この所在のなさは救われるの

 海まで一気に走ろう。さよなら。汗と湿気で束になった髪でさえ、海から吹き上げる潮風になる。ぐんぐんと、普段使わない腿の筋肉が足から分離しそうになるぐらい、自転車のペダルをこいで、海へ。でも、私は海が嫌い。砂浜へ続く歩道橋の上で立ち止まる。国道、西へ東へと、ひっきりなしに走る車列。残されていく光を束ねては解きながら私は泣くだろう。セイレーン、あなたの歌声はまるで悲鳴のようだ。自転車のハンドルを強く握って、歩道橋のスロープ。防砂林の憎たらしい隙間、肌にまとわり付く砂、それは、まるで過去みたい。だから、私は自転車を金網に立てかけた。タンクトップのアームホールから伸びた腕に渾身の力を込めて、金網をよじ登り、向こう側にジャンプする。左膝のちょっと下を錆びた金具で傷つけた。真っ暗な水をたたえた夜のプール。飛び込み台のところにきちんと洋服をたたんで、私は水になる。国道を通る車の音も、セイレーンの悲鳴も消えた。さよなら。でも、これはあなた声。聞きたくて、聞きたくて、でも、他の音がするところではもう聞くことはできない、あなたの声。音がない世界にだけ、あなたの声が響く。さよなら。私もあなたに言う。私の声は塩素のにおいのする泡になった。さよなら。乳房が水の抵抗を受けて自分の身体から離れていく。水面を目指すと、膝から下、肘から先が、液体になってプールの底へ沈んでいった。だから、魂だけでも水面に向かう。息をすることが、こんなにも自然で単純な動作だったのかと驚く。もういちど水になることへの恐れを捨てる。セイレーン、私は怖くなんかない。イルカのひれみたいに、水を切って、一気に25メートル、くるっと回ってプールの壁に魂を叩きつける。ぐーんと水中に伸び消える。残るのは、あなたの声だけ。さよなら。セイレーンの声に惑わされるのは男の人で、私は女。あなたの声しか聞こえないプールに消える。あなたの声で満たされた、しあわせな季節。

六月、やがてくる七月
雨が降る
人の心のように
やさしく、時に激しく
四角いプールの水も形を失い
留まるということを忘れる


自由詩 雨季 Copyright 芳賀梨花子 2009-05-31 22:27:51
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