モーニングコールは願うほど遠ざかる
山中 烏流
わたしがたたずむゆりかごは
なにものよりもあたたかく
やわらかいものですから
たとえば
すずめのあしおとが
みみもとでなったとしても
わたしはきづかないことでしょう
あさがくるまでは
ひらがなはうつくしいものです
しかし
そればかりだと
よみにくくてかないません
ちょうど
この、ぶんしょうのように
ゆめのなかでは
わたしにとって
うつくしいものばかりが
こうしんをしています
しかし
そのこうしんは
わたしにとって
みにくいだけのものです
まぶたのおもりをほどいて
いくどとなくあさをむかえても
それら、なにもかもが
かわることはなく
わたしはといえば
すずめがさえずるまで
ただ
ぽつん、とたたずむいがいに
なにもないのです
なにも、ないのです
がらんどうなことばには
いつも
からっぽ、というなかみが
つきまとうように
いろいろをつめたことばには
いつも
おもい、というなかみが
つきまとっている
わたしは
ずいぶんとまえから
それをしっていたようです
それをしりながら
きづかないで、
いたようなのです
あさはいつも
ねがうほどにとおざかり
それをしらないわたしは
きょうも
いしきのめざめをねがい
そうしてやってくる
かたちばかりのあさにあんどして
やすやすとだまされては
そのかんしょくに
あまえてしまいます
にせものだときづくこともなく
うたがうこともないままに
ただ、ひたすら
そのあたたかさややわらかさに
あまえてしまうのです
だれかにゆりおこされるのを
わたしはねがっています
それがまちがいであることを
わたしじしん、きづいています
しかしわたしは
すずめのあしおとが
ときがたつにつれふえていき
わたしのかおをついばみだして
いずれ、さいごをむかえたとしても
ゆりかごにくるまったきぶんのままで
いつまでも
ねむりつづけるのです
そういえば
みみもとにさえずるこえは
ゆりかごほどではなかったといえど
おなじようにあたたかく
やわらかいものでした
すずめのこえでなかったことは
いまでも
はっきりとおもいだせるのですが
それがなにものであったか
と、いうことまでは
いまはもう
おもいだせません
ひだまりは
くさりおちればいい、とおもえるほど
あふれているというのに
わたしのもとめるあさが
ひとひらもみあたらない、というのは
どういうことなのでしょうか
こたえをだれかにもとめることすら
まちがっているのなら
いつまでも、わたしは
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創書日和、過去。