愛の詩人・上手宰と「冊」の詩人からの伝言
服部 剛

 今から30年以上前に高田馬場で朗読会を
していた上手宰さんは僕が尊敬する詩人で、
4月の「ぽえとりー劇場」は世代を越えて詩
を共有する雰囲気になったのが、とても嬉し
いことだった。そして、長い間詩と共に人生
を歩んで来た人と若い僕等の「詩を愛する思
い」は世代を越えて同じものだと感じた。 

 一篇目に朗読したのは「忘れ物」という詩
で、電車の中に忘れられた骨壷・・・という 
素朴なようで不思議な詩的空間が描かれた詩
だった。 


  だがその光景は私にやさしい
  座席にちょこんと腰掛けた
  骨箱が明るい日差しの中で
  どこまでもどこまでも運ばれていくのだ
  生きていたとき
  車中で眠り込み、もう起きたくない
  このまま帰らぬ人になってもいい
  そんな幸せな死を夢見た人がとうとう
  その夢を果たしたようだ


 「骨壷」というと普通は重い印象を与える
が、この詩の中では不思議な幸福感さえ感じ
る。


  もう駅の名前を知ろうと
  きょろきょろしなくていい
  もうあなたは、どこで降りなくてもいい
  遺族が置き忘れたのではなく
  あなたは自分の意志で
  そこに座っているように思えてくる
  うたた寝しながらあなたは
  一度も行ったことのない遠くへ行くのだ


 最後の連で(忘れ物でない死などどこにあ
るだろう)と語りかける言葉があるが、人間
は、忘却の生き物である故にどんな「死」も
大なり小なり人の記憶から薄れてゆく。それ
でも、この詩の中の(電車に置き忘れた骨壷)
のようにもう一つの詩的次元の世界の中で誰
かの「死」は密かに、いつまでも生きている
ことを、この地上で出逢った人の想い出はい
つまでも消えないことを、「忘れ物」という
詩はそっと語りかけるような気がした。 

 二篇目に読んだ「光の旅」は、多くの優れ
た詩を書いた上手さんの詩の中でも代表作と
感じる素晴らしい詩である。 


  星の光を見ることは
  遠い過去を見ていることだ
  何十万光年とか
  何十億光年前の光が
  いま私たちに届いていることを
  私たちは不思議がる
  その星はもう滅びているかもしれないと

  しかし、もっと不思議なものは
  間近に見える妻の笑顔だ
  それは星の光と
  同じものでできているので
  識別できないほど僅かな時間だが
  過去からやってきて僕にたどり着く
  僕が笑い返せば同じ時間をかけて
  彼女の瞳まで光は旅をするだろう

  光は距離の別名で
  星の輝きが私たちに届くためには
  深い暗闇が必要だったが
  私たちの間にも宇宙のような闇が
  必要なのかもしれぬ


 私達がふと見上げる夜空の星に、遥か
遠い過去の光を見ているということを思
うだけで、とても不思議な気持になるが、
その遥かな場所に瞬く星を、身近な妻の
瞳の内に見出すところに上手宰さんの詩
人としての視力があり、遠い星のように
傍らの妻を見つめる時、いつも当たり前
のようにいる妻が、とても愛しい、大切
な存在に思えるのであろう。そして、私
達が暮らす平凡な日常さえも、目の前の
場面にいる誰かさえも、実は「遥かな星」
のようにとても愛しい、大切な存在では
ないかと「光の旅」という作品で、詩人
は暗に語っている気がする。 

 ゼウス(神)が人間に化けて地上の女
と恋をする神話のような連も印象的で悪
霊の誘惑で、女が(本当の姿を見せて)
と迫りゼウスが姿を現し、もっとも弱い
光で女が一瞬に燃え尽き、消滅してしま
うところに愛についての詩人の考察があ
ると思う。 


  光が旅をできる暗闇を
  取り払ってしまえば
  光はすべてを焼き尽くす


 地上に生きる人間というのは、壮大な宇宙
の歴史を思えばあまりに小さく、本当の光を、
私達の小さい両手は受け取ることができない。 
この人生に於いて、もし幸福というものがあ
るなら・・・それは時に暗闇があればこそ、
光の欠片を両手に受け取れる・・・それを幸
福と呼ぶのかもしれない。  


  妻の笑顔は
  遠い星からの光と
  同じ舟に揺られてやってきて
  僕の目に宿る
  僕はいつも無知な優しさで
  その光が自分に
  たどり着いた瞬間を抱きしめる 


 上手宰という優れた詩人のメッセージを受
け取った読者は、今迄何でもないと思ってい
た日常の、(目の前にいる誰か)の瞳の内に
または(愛するひと)の瞳の内に遥かな遠い
過去に瞬く星の光を見るだろう。そして詩人
は、時に哀しい暗雲に覆われた世界を捉え直
し、詩人の視力で垣間見える「地上の天」は、
詩人の口から語られ、人々は光の欠片を分け
合うであろう。 


     * 


 ゲストの上手宰さんの後は、続いて上手さ
んが主宰の詩誌「冊」同人の優れた詩人の皆
様が朗読してくれた。やはり、長い間、詩の
言葉を愛して生きて来た人の熟した言葉の説
得力を感じた。 

 渋谷卓男さんは「雨音」という詩で静かな
雨音が、この世に生まれてから今迄の間止む
ことはなく、世界が悲しい雨に覆われてゆく
・・・という詩の世界に、この世と人生観を
語る実感が、素朴な言葉から伝わった。いつ
までも雨の降り続くかのような、そんな世界
の中で、詩人は遠い記憶を手繰り寄せるよう
に語りかける。 


  いや
  ただ一日
  陽の射した朝はあったのかもしれない
  雲が切れ
  さしのべた掌にこぼれたものは
  あれは
  光ではなかったか

  眼を閉じていたように思う
  まぶたの裏までが
  眩しかったように思う
  地上に光のあった日
  あの日の記憶に手をかざして
  雨の中ふたたび歩いてきた
  奇蹟を待つことの愚かさも
  歳の数ほどは知りながら   


 そして、最後の二連に、渋谷卓男さんとい
う詩人の密かな願いが込められていると思う。 


  濡れてもよかった
  首筋から雨を流し
  心臓から雨を流し
  雨のなか雨そのものとなって
  ひとを濡らしてさえいた
  それでもわたしが
  わたしたちが
  願うことを捨てなかったのは
  明日歩きはじめるものの靴を
  濡らしたくはなかったからだ

  聞こえる
  雨音に足音を聞いて立ち止まる
  すると再び
  あたりは激しい雨音だけに包まれる
  だがわたしは知っている
  雨音は雨の音ではない
  打たれた木
  打たれた花
  打たれた道
  天を仰いで打たれた者たちの顔が
  音を立てるのだ 


 雨音というのは、実は雨に打たれる木・花
・道の奏でる(声)なのだ・・・というとこ
ろに優れた詩人ならではの発見と、世の悲し
い者達の心と心を結ぶ静かな共鳴が観えるよ
うな、素朴な語りで平易ながらも巧く、胸に
消えない詩の世界を伝わった。 

 茂本和宏さんは「ニッポン チャチャチャ」
という若者達の言葉をユーモアたっぷりに語
りながらも、戦後の日本の問題の核心を風刺
するところに、茂本さんという詩人の優れた
「智」を感じた。そしてユーモアはある意味、
見る人に効果のある「仮面」であり、その仮
面の下に光る(詩人の目)を感じた。 

 若者街頭インタビューに答えるという場面
で 


  カメラに向って
  言うの?
  〈ハーイ
   ニッポンは瀬戸際だそうでーす〉
  ダッサアー


 もし戦後の日本が「ダサイ」なら、本当に
魅力ある日本とは何か・・・?というとても
大事な問いかけが、この言葉の裏にあると思
う。 

 その後は競争社会の原理について街頭イン
タビューのアンケートに基づいて伝える連で、
ここでも軽く語りながらも(一人の人間の個
性は本来同じ競争のスタートラインで比べる
ことはナンセンスである)と確固たる人間観
があると思う。 


  並べないんだよ
  ラインつーのに
  なのに
  ヨーイドンってわけよ
  きついよね
  なんでみんな
  あんなに負けたがらないのかなあ
  えっ俺 とりあえず負けてみる
  つるっとしてて
  けっこういいんだけどなあ 負けるって
  負け惜しみって言い方もあるけどって
  いっしょじゃん ニッポン
  ずっと負け惜しみじゃん
  交差点のそばの岩井さんでした


 現代日本の競争社会の中においての「勝つ
事とは、本当に価値あることなのか?」とい
う問いかけがここにはあり、人生は競争社会
で「勝つ」ということ意外にもっと豊な価値
観と生き方があるのでは・・・?ということ
を伝える、詩人の意志を、この連は伝えてい
ると思う。 


  ともえさんと佐竹さんと岩井さん
  幾つか角を曲がったら
  会えるかもしれないけれど
  どんなに角を曲がっても
  ダサクてネジで負け惜しみの
  ニッポンには会えません 


 僕等はおそらく、時間をかけてでも歴史を
遡り「日本人とは何か?」という命題を、探
求すべきなのであろう。そして、過去の歴史
を引き継ぎながらも「日本人にとっての詩の
言葉」を新たに創造することが、これからの
若き詩人に、密かに問われていることだと思
う。 

 「冊」の詩人の最後に、伊東唯さんが「メ
ランンコリア」という詩を読んでくれた。デュ
ーラーという版画家の、同タイトルの名作の 
銅版画の前に伊東さんが立った時に作品から
(みつけてごらん)と語りかけられる「音の
無い声」に耳を澄まして聞き取るような詩の
世界であった。 


  頬杖をついた 立派な翼の天使
  どっしりと座り 
  片方の手には製図コンパス 
  大きく目を開き 中空を睨んでいる

  あなたが描こうとしているものは
  何なのか 

  傍らには小さな天使    
  寝ている痩せたヤギ 
  天秤ばかり 砂時計 梯子 魔方陣 


 と、銅版画に描かれた謎の暗示絵を伝え、


  挫折をくりかえすたびに 
  新しい版画がうまれた

  メランコリアに魅せられたひとよ

  挫折は希望のひとつだ


 この精神は、詩人の魂と生き方にそのまま
重なるもので、メランコリア(哀しみ)には
深い意味のあることを伝えている。そして、
詩の最後の一行、(挫折は希望のひとつだ)
というメッセージは四月の「ぽえとりー劇場」
の詩の夜に集う皆への、静かに、確かな何か
が伝わる、名言として僕等の糧になる詩の言
葉を伝えてくれた。  



  ※ 文中の詩は、上手宰詩集「夢の続き」
   (ジャンクション・ハーベスト)
    より引用しました。 








散文(批評随筆小説等) 愛の詩人・上手宰と「冊」の詩人からの伝言 Copyright 服部 剛 2009-05-29 21:22:31
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