1000^63こきんこかんしょてん
影山影司
きそくがある。じぶんのげんこうをひとつもってはいれ。ただし、くうはくやくとうてん、だくてんはんだくてん、すてがなひらがな、ろくじゅうさんしゅるいのもじだけをつかい、すべてをいちじとかんさんしてせんじぴったりのげんこう。かんじやかたかないこくのもじはふきょかとする。
ちずをたどると、そこはしょてんというよりなにかのきねんひのようなたてものがあった。まどもまるみもなく、まるでしきちないをうめつくすためだけにつくられたのか、とおもうほどしかくくそっけない。
いりぐちはやすぶしんのじどうとびら。かぎのかわりにもっともやすいしへいをいちまい、よみとりきにいれるととびらがひらく。がいけんのいんしょうそのまま、ないめんもまったくかざりけがない。おそろしくたかいてんじょうと、りんかくがぼやけてまったくしょうたいのみえないきょうれつなでんとう。
かべにすいちょくにたてかけらたいどうしきのはしご。いっぺんにつきいっぽん、ごうけいよんほんがしほうのかべにとりついている。
にびいろのゆかのうえに、ひとりがけのいすとつくえとたいぷらいたがいちだい。たいぷらいたはゆうじんがいっていたろくじゅうさんもじのみがいんじされている。いすにこしかけ、まちがえないようにちゅういぶかくたいぷらいたをだけん。
ふるめかしいめかにかるのかんしょくがぶんしょうをよどみなくおとしこむ。ちょうどせんもじうちおわると、でんしおんがげじょうしました、とつげる。きんこのかぎがひらいたのだ。
そうだ。きんこだ。
かべ、かべ、かべ、かべ、すべてがきんこでおおわれている。ぎんこうにおいてあるかしきんことおなじしゅるいだろう。はしごをのぼる。とびおりればいのちをうしなうたかさへたっする。とちゅう、いくらかとびらがひらいたままのからっぽのきんこをみつけた。
みどりのあかりをつけて、わたしのきんこはわたしのほんをさしだした。ひょうしをめくると、さきほどうちこんだわたしのぶんしょうがいんさつされている。
わたしはようやく、じゅうのひゃくはちじゅうきゅうじょうのきんこのうち、ひとつがわたしのためによういされているのだとしる。