ライク ア ローリングストーン!
チャオ

昔、陸上部だったせいか、走るのがすき。しかも、すごく長い距離。歩くのもやになっちゃうくらいの距離。
そのときはすごくつらくて、泣いてるんだけど、あのときの気持ちを味わいたくて、また走り出す。マゾだと思う。じゃなくても中毒者だ。

二、三年前、僕は160キロを一人で走っていた。僕のリュックには着替えと、テープレコーダーと、僕の覚悟が入っていた。
僕の覚悟は、走れば走るほどに大きくなり、僕の体に負担をかけた。
焦る気持ちと相反するからだ。100キロを越えたあたりで片方の足が動かなくなった。僕はそのとき、こんなにがんばったんだから、走るのをやめてしまおうと思った。
100キロ以上走るのは簡単なはずだったが、焦る気持ちに、体はあまりに無理をしすぎたらしい。なにせ、目的地には、あさって旅行を控えた友人が待っているのだ。それまでに着かなくては。

それで、僕の足は壊れた。

深夜だったから、僕は適当な場所を見つけて、明日の朝電車でかえろうとした。足の痛みは完全なものになり、僕は眠りについた瞬間、わずかな動作でも響く、足の痛みで目覚めざるを得なかった。横になることがあまりに苦痛だった僕は、しっかりと意識を保つことにした。
そのとき、日があけた。

忘れることもできない瞬間だった。太陽は僕らを照らすのだ。僕は痛みとともに起き上がり、足一本を捨てる覚悟をした。
曲がらない足、伸びない足、地につくと痛む足、宙に浮くと痛む足。痛みが体を支配して、僕は歩きながら、泣いていた。痛くて、痛くて。

フランクルの著書「死と愛」で、足を失った人が、ベットから起き上がった瞬間泣いてしまったエピソードがある。そのとき、医者は「君はマラソン選手じゃないだろう」といって励ました。彼はその瞬間。自分の使命に気がつき、その後の人生を、自分を見つめることができた。

失われても、失うことのできない使命が人にはある。僕は、どんなに走ることが好きであっても、走る使命を持って生まれてはいない。僕は何か特別な使命を持つことが許されなかった人間だ。
そう、何か漠然とした使命感が、僕の足を切り裂き、僕はその使命感に従順に従った。耐えることのできない痛みとともに。ずっと、僕は泣いていた。

友人の家に着いたとき、真夜中だった。
彼は爆笑した。歩けない僕、車に乗れない僕を見て。それほどまでに僕は切ない姿をしていたらしい。それに気がついて僕は爆笑した。そして「会いにきたぜ」って言った。友人は「おう」って言った。

彼の部屋でレコードを流した。「ライクアローリングストーン」
僕は痛みに支配された体に、話しかけるように思っていた。明日、もし片方の足を切断しなければいけなかったとしても、大丈夫、僕は石ころのように流れる。どこまでも。
別に、どこへ行きたいわけでもない。着いた場所が行きたい場所に違いない
けっきょく、僕の足は二つついている。


散文(批評随筆小説等) ライク ア ローリングストーン! Copyright チャオ 2004-08-30 14:05:02
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