http://www.nhk.or.jp/nichibi/weekly/2009/0510/index.html
(NHK日曜美術館のページ)
昨日新日曜美術館の再放送でパウル・クレーやってました。
クレーは好きな画家。
http://www.paul-klee-japan.com/paulklee/index.html
(日本パウルクレー協会より人物紹介)
ナチスにより「頽廃芸術」と名づけられた画家は多数いた。彼もそのひとりで迫害を受けて、スイスで晩年絵を描き続ける。
興味深かったのは、スイスの片田舎で、クレーがちょいちょい寄っていた家のおばあさんの話。おばあさんはもちろんクレーが生きていたときには少女だった。目をキラキラさせながら、クレーに「ちっちゃい人」の絵を見せてもらったことを話していた。おばあさんにはそのクレーの綱渡り芸のちっちゃい人をみたことが昨日のことのようだった。
そこの家の麻袋を紙の代わりにして書いた作品もあるそうな。
「死と炎」という。次のリンクの一番下にある。
http://www1.odn.ne.jp/~cci32280/ArtKleeTop.htm
(なお後述する「忘れっぽい天使」もこのページにある。絵をクリックすると拡大されて出てきます)
その麻袋が入っていた倉は今は自転車を置いてある。
晩年皮膚硬化症に苦しむクレーであったがそのころクレーは年に1200もの線描画を描いた年もある。
シンプルな線描画は「天使」にまつわるものが多い。鉛筆で書いていて落書きのような感じ。でもいい。なんでかというと、自由だし何かの本質そのままそこにあらわれるから。
絵にうまい下手は。ある意味ではない。しかし見る私たちには意外と歴然と良いものは良い。そこではなぜかしらないが、作品と見る私がお話したりできるような入り込める開かれた感覚があるからだ。面白くない作品はどこかでこちらを信用していない。こちらもある疑いをもってしまう。これは技術的なレベルの話だけではなく、作品と自分自身の関係性というかコミュニケーションが一番大事だといいたい。
僕にとってクレーの絵は入りやすい。しかしどこかで押しとどめられるような頑なさも感じる。そこに自分にとっての謎がある。だから兵庫で行なわれているクレーやピカソの展覧会は見に行きたいが、そして生で確認したいが、今現在インフルエンザの情勢がまだわからずいけないでいる。
*
たしか岩波文庫のベンヤミンの評論集の表紙絵にもなっていたはず。ベンヤミンは第二次大戦、戦前戦中の独創的なユダヤ系ドイツ人思想家である。
子供向けの本を残していることもクレーに近いものがある。
ベンヤミンも未来から吹く風を受けて現在や一切の過去の廃墟をみつめる「天使」という話が「歴史哲学テーゼ」に出てきたと思う。
http://www.amazon.co.jp/%E6%9A%B4%E5%8A%9B%E6%89%B9%E5%88%A4%E8%AB%96-%E4%BB%96%E5%8D%81%E7%AF%87-%E5%B2%A9%E6%B3%A2%E6%96%87%E5%BA%AB%E2%80%95%E3%83%99%E3%83%B3%E3%83%A4%E3%83%9F%E3%83%B3%E3%81%AE%E4%BB%95%E4%BA%8B-%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%AB%E3%82%BF%E3%83%BC-%E3%83%99%E3%83%B3%E3%83%A4%E3%83%9F%E3%83%B3/dp/4003246314
ベンヤミンもスイスに逃げたりしていてスペインに入国拒否され最中に自殺してしまった。おそらく似た時期にスイスにもいたように感じる。
ベンヤミンは迫害を受けた上に、仲間とも離れてヨーロッパをさまよっていた。ホルクハイマーやアドルノ、フロムなど戦後徹底的にファシズム批判を行なった人は次々とアメリカに亡命した。フロイトはイギリスに向った。仲間の医者達はナチにとらえられていった。多くのユダヤ系の社会科学者、心理学者、科学者、社会福祉関係の学者などはアメリカに亡命し戦後華々しい活躍をしたものも多数いた。友人だったアドルノらもそうだ。
しかしベンヤミンはどこへもいくところがなかったようだし、自ら退路をたったのかなとも思っている。
さて、クレーの天使、これはかわいい。素敵だった。今は孫が所蔵していたりする。「忘れっぽい天使」「みにくい天使」「まだみにくい天使」などタイトルも面白い。スタジオではファシズム抵抗的側面を強調ばかりしていたが、現地のおばあさんや孫には今でも思い出になっている素敵な面もあるのではないかとも感じた。それは現実逃避ではなく日々生きる上でのsomethingでもあったはず。
戦争への抵抗という側面だけで測れないのが芸術だとも思う。それよりさらに広い生き物や世界への希求がなければ、あるいは身近なものへの細やかな観察抜きに芸術は存在しにくいと思う。
しかしスイスに逃げるという契機はもちろん画家の孤独に大きく影響しただろう。
当時ゲッペルスは「頽廃芸術」と名づけたゴッホやクレーの絵画をスイスの画商にオークションさせ、その売り上げをナチスの収益にしていた。今そのスイスの画商を継いだ三代目は「クレーたちの絵を売ることで、私の祖父は戦争協力者でもあるし、海外へ絵を逃げ延びさせたことで、絵を守ったともいえるので、その間で非常に葛藤しています」といっていた。
かなり散逸したクレーの絵もドイツのある県の美術館が6億円を投じて80点ほど買い戻したらしいが、どこかへ消えてしまったものもその何倍もあるという。
こないだ弟が個展やっている画廊の人は「ナチスの経済政策」という本を読んでて、「経済政策はともかくその是非は置くとしても、大規模な公共事業や福祉政策は一応当時としては効果があった面もあるらしいけれど、芸術をナチは破壊しましたといっていた。」僕はそれもこれも戦争を目的とした国家の両面だろうと思った。
自由よりは規律、拡散よりは全面的な統合の果てには、軍隊としての組織化とそれに沿わないものを全面的に排除するという共同体運営の末路であると思う。これはナチスに限らず、今の日本でもどこの国でも危険はある。
とくに不況だから敵意を外やすんなりと理解できない隣人に向けていくというのは一番安易なやり方だから。弱い社会が取りがちな方法だ。ナチスを生み出した社会も民主主義的な国家だったが、如何せん人びとの生活の疲弊・絶望感は巨大だったのだろう。そこに一挙解決の方法を提示するものがあらわれたのだ。
でも戦争が進行するにつれ、何が解決すべきなのかどんどんわからなくなって、戦争が自己目的化していったのが真相のような気もする。
もはやそこには意味を失った暴力があった。それを芸術はどこか別のところから、感じている。ちょうど天使のように。
※昔読んだクレー関係の書籍。
http://www.amazon.co.jp/%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%81%AE%E7%B5%B5%E6%9C%AC-%E3%83%91%E3%82%A6%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%83%BC/dp/4062078244/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1242616047&sr=8-1
(谷川俊太郎がクレーの絵に詩をつけている)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4002601773/hatena-ud-22/ref=nosim
(これ復刊しないかな)