「嬰子の褥」返詩 胎児のわたしから母へ
夏嶋 真子

嬰子の褥


闇のひとつ奥に蠢動する白光体がたしかにあった
血に焼かれた嬰子が視えない手のひらに止まって
私の身体に続いている
いやへその緒はぜんまい状に闇に溶けて
それはもうわたしから切られた存在であるにはあったが
その心臓音は両の耳鳴りと呼応して
嬰子は時限爆弾のように私の生存を秒読みに告発した
死にではなく生に追いやる破壊力をそれはそなえているらしい
時計のカチカチ 眼から脳裏に映像化される硬質音より
うるおった水気のある心音が闇をうるませ
夜の中で私は海に遊んでいる
眼のあかない乳飲みの猫の母親のいないひとり
の暗い柔らかさから
抜け毛の老い猫の死期にまで逝きついて
せつなげな震えといっしょににおい
身体全体は観音の顔のように奥深げに優しく
それはまるで宇宙そのものの神秘への夢のふくらみ
地獄の顔をした私をなぐさめるのである
アカチャン アカチャン とさまようが
オカアチャン オカアチャン とは決して答えない
幻聴も許さぬほどに嬰子はひとりという全体の澄んだ褥
蝶のようにとまっていて 私の声は海に吸われ答えられぬことで追い求める
アカチャン アカチャンは永遠の道行を続く 
ああその遠さへの波打ち際にただよう紅さ
あれは私の血 子宮にしぼられていった私自身の誕生の証し
視えなかった母への痛みがほころぶ時 私はもうなににも負けない
ただひたむきに乳房はふくらみ
狼の歯で噛むように 嬰子よ 
さあ乳を吸え 私を吸え 
闇の底明日ではない未来をけれど確かに握りしめ
生きていけると確信する時
放電する力 私がまたはじまったのだ

「嬰子の褥」より 作者 母 





カアサン カアサン

母の胎内は夜のさなかでさえ
うすぼんやりと明るい海です

生きる母の情念をすっぽりと包みこんで
36.8℃の血液はそれが当たり前だと解きながら

母をめぐりわたしを守り

紅色の皮膚を透過した光がここへも届くのです

まなこのひらかぬわたしにも
夕日の色は赤いのだと告げながら


魂の輪郭をもたないわたしと母は
まざりあって同じ夢を見ていました

あなたの修羅も あなたの慈愛も
すべてひとしく愛しく
わたしは今 あなたの母でもあるのですね


カアサン カアサン

生まれることは何よりも恐ろしく
頭蓋骨を歪める苦しみの後

生きることは死よりも険しいのだと
あなたは泣きました

それでも あなたもわたしも
同じ輪廻の道行に続く

あなたがわたしを生むとき
あなたも母として生まれる

生まれる苦しみで
わたしたちが繋がりあったその瞬間 

最も尊い喜びの歌声で
わたしはあなたを満たしましょう

あなたがなににも負けないと言った同じ心で
わたしもまた誓うのです


あなたにみなぎるその力は
わたしに命を萌芽させるひたむきさは


眠っていたわたしの体中に火を放ち
熱い 熱いのです
飢餓にみまわれた心で
わたしは叫び駆け出します


あなたとは完全に隔てられた一個の個になりたい 



だって



あなたの肌にふれ
あなたの乳を吸いたい



カアサン カアサン
ただそれだけが 



カアサン カアサン
なににも負けない



カアサン カアサン
わたしの生への衝動なのです




2009/04/28 母の誕生日に


自由詩 「嬰子の褥」返詩 胎児のわたしから母へ Copyright 夏嶋 真子 2009-04-28 19:46:08
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