檸檬
柊 恵
秋というには、まだ早い
風は乾いてきたけれど
地下鉄を降りる
ホームに残る夕刻の熱気
東急『Food show』
とくに欲しいものも無くて
檸檬を買った
「そのままで良いから」
手持ちの紙袋に檸檬を入れる
レジ袋って好きじゃない
人で溢れる渋谷
みどりの窓口、長い人の列の新幹線券売機に並ぶ
ふと窓口の方を見る
壁に寄りかかって黒髪の綺麗なひと
黒いスーツ粋に着こなして
メールをみつめる
はらり髪が蒼白の頬にかかる
くちびるが微かに震えて
「うゎぁ〜ん」
悲しみが堰を切る
なりふり構わず子供のように
「うゎぁ〜、うゎぁ〜ん」
崩れるように座り込む彼女
堪らない気持ちで歩み寄る僕
「どうしたの?」
両手で髪を包み込む
愕いて泣き止む
「大丈夫かい?」
顔を上げ不思議そうに見返す彼女
紙袋の檸檬を二つに千切る
酸味が迸る
「檸檬、好き?」
コクンと頷く
ひとくち噛んで呟く
「甘い…?」
周りの視線が痛い
「行こう」
彼女を立たせた
「ありがとう、声かけてくれて」
「少し落ち着いた?」
「さっきね、髪を撫でられて身体が、ふゎってしたの…」
「泣かないでって祈ったからかな」
「あなたで良かった…」
「少し話そうか?」
大きなMの看板をみて言うと
小さく左右に首を振り
じっと僕を見つめる大きな瞳
逸らさずに見つめ返して
彼女の手を引く
秋の夜は長くて
灯の無い闇は優しくて
燃え残る激しさを
全て忘れさせてあげよう
そう思った
窓用エアコンは音ばかり
二人は すぐに ぐっしょりと
互いの体液に塗れているのに
顎からの雫が
彼女の顔に落ちないように
そんなことを気にする自分が
可笑しかった
ねぇ、今のは
泣いていたの?
…
携帯アラームで目が覚めた
「おはよう」
恥ずかしそうに微笑む彼女
「シャワー浴びてくるね」
空が高い
日が雲を柔らかに照らす
秋は朝がいい
お互いに聞かなかったから
名前も携番も知らない
もう二度と会うことも無いのかな…
遠く見送る
街に彼女が融けていく
噛じる檸檬が少し苦い