積極的誤読のすすめ :朝のリレー
がらんどう


>カムチャツカの若者が
>きりんの夢を見ている時

カムチャッカはロシア極東の海軍と水産業で知られる地域である。
そのようなカムチャッカの若者がなぜ「きりん」の夢を見るのか。
当然ながらカムチャッカにキリンは存在しない。だが、ここは「きりん」であり「キリン」でも「麒麟」でもない。おそらくは樹木希林(日本の女優 本名:内田 啓子)のことである。つまり、この若者は樹木希林のファンである。夢に見るほどのファンなのである。ペトロパブロフスク港はロシアの太平洋最大の海軍基地であり、カムチャッカは1992年まで閉鎖地域であったことを考えるなら、軍事的な圧力の下で若者は「きりん」のもつアナーキーな存在感(同様に彼女の夫である内田裕也も連想されてしかるべきである)に反体制の夢を託していると理解すべきであろう。

>メキシコの娘は
>朝もやの中でバスを待っている

メキシコの娘は朝もやの中でバスを待っているそうだが、御存知のようにメキシコの治安は悪い。
朝もやは、天気が良く風の弱い底冷えのするような夜、放射冷却により地上の気温が下がり露点温度に到達することにより発生し、朝もやというように日中気温が上がると解消する。季節には関係なく発生するが、日中と夜の気温差が大きくなる秋から冬にかけての発生頻度が高い。つまり、朝もやがでるということはかなりの早朝である。日もまだ昇ってはおらず、薄暗く視界も悪いだろう。そんな時間に女の子がバスをのんきに待つなどありえない。メキシコにおいて地下鉄やバスは一般的に危険である。はっきりいってレイプしてくれといっているようなものだ。メキシコはそういう国なのだ。そして、そういうレイプ犯はアントニオ・バンデラスにぶっ殺されてしまう、そんな国であるメキシコ。
つまり、この部分において少女は実際にバスを待っているのではなく、「バスを待つこと」を待っているのだ。早朝に少女がバスを待つことが出来るような暴力のない社会の到来、それこそが少女が本当に待っているものである。

>ニューヨークの少女が
>ほほえみながら寝がえりをうつとき

カムチャッカという地方名、メキシコという国名がきて残り二つは都市名が続く。
なら全部都市名で揃えろよという気もするが、まあいいとしよう。

ニューヨークもまた御存知のように治安が悪い。
そのようなニューヨークで「ほほえみながら寝がえりをうつ」、つまり安心して眠ることが出来るということは、彼女は豊かな階級に属する少女であることがわかる。おそらくは白人でピューリタン、いかにも東部のお嬢様なのであろう。彼女は、同じ町の路地裏でゲロを吐いているヤクの売人も一晩中客が見つからずその夜の宿を手に入れ損なった売春婦も地下鉄から閉め出されて凍え死にしかけたホームレスも、全く夢に見ることなく、「ほほえみながら」眠るのだ。
当然、彼女の夢には「極寒のカムチャッカ」も「失業者にあふれるメキシコ」も出てこない。


>ローマの少年は
>柱頭を染める朝陽にウインクする

ローマもまた治安が悪い。そしてその治安の悪さは移民によるものと作者は示唆する。
柱頭は「ちゅうとう」、つまり中東とかかっている。ここに出てくる少年は、中東からイタリアへ移民してきたアラブ人少年(これはローマ帝国皇帝の幾人かが中東地域からやってきたという歴史的事実への言及ともなっている。)と考えられる。さらに「東方」から昇る「朝陽」が「柱頭」を染める、ということはオリエント的なものがローマという西洋世界の歴史を代表する都市の象徴である「柱頭」を染めるということであり、つまり西洋を中東的なものが浸食することを示しているのである。
そのような西洋のアラブ化という状況に対し少年はウインクする。少年は確信するのである、アラブの西洋文明に対する勝利を。

>この地球では
>いつもどこかで朝が始まっている

まさか、カムチャッカが夜の時メキシコは早朝で、ニューヨークが夜の時ローマは朝である程度の意味しかないということはないであろう。当然ここは「朝」を隠喩として理解しておくべきであろう。「きりん」を夢想するカムチャッカの若者は「きりん」に反体制の夢を託し、メキシコでは暴力が渦巻き少女は暴力のない社会を待つ。ニューヨークではそういった暴力の存在に気づかずWASPの少女が繁栄を貪り、それに対しローマの少年は西洋の没落とアラブの勝利を確信する。つまり、「朝」とは「革命の夢」の向こうにある目覚めであり、その革命の闘争それ自体である。

>ぼくらは朝をリレーするのだ
>経度から経度へと
>そうしていわば交替で地球を守る

なにから守るのか。
朝であるということが地球を守ることと等号でつながる、ということはつまり、敵は朝に弱いのである。
当然私たちはここで一つの連想をすることとなる。
朝の光に弱い我らの敵、それは吸血鬼である。私たちは朝をリレーすることによって吸血鬼から身を守らねばならない。身を守るだけでなく、吸血鬼は地球の支配を企てているので、地球を守らねばならない。
だが、この吸血鬼とは文字通りの吸血鬼というわけではなく、我らから血税を搾り取り、戦場に血を流させる「支配階層」(ドラキュラ伯爵に見られるように、吸血鬼には貴族的イメージが伴う)のことである。そのような支配階層から地球を守るためにリレーされる「朝」とはつまり「革命の輸出」である。

>寝る前のひととき耳をすますと
>どこか遠くで目覚まし時計のベルが鳴ってる

>それはあなたの送った朝を
>誰かがしっかりと受けとめてた証拠なのだ

遠くで聞こえる「目覚まし時計のベル」もまた「目覚まし時計爆弾」を指し示しており、別の土地で響く爆弾テロの爆発音の中に、我々は闘争の継続を読み解くのである。一人の革命家が道半ばに倒れたとしても、彼の送り出した革命の意志は誰かに受け継がれる、この詩はそうやって闘争をアジテートするのである。




散文(批評随筆小説等) 積極的誤読のすすめ :朝のリレー Copyright がらんどう 2004-08-26 14:43:58
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