ひとつずつ死滅する暮れ方からのアルペジオの残響
ホロウ・シカエルボク







浅黒い空に陰鬱な虫が踊る、太陽の時間に間に合わなかった雨上がり、そこの破れた靴の中はもうすでに踏みつけた水たまりの記憶で一杯で…アスファルトの上で腐葉土を踏みしめているような違和感を構成していた
ひとつ、ふたつ、夜の始まりが道に降るたびにばらけるその日一日というフォルダ、展開しても展開しても増してゆく闇の中に逃げて行くばかりで、ただヘッドライトに、ただヘッドライトに浮かんでは溶けてゆく輪郭があるばかりで…文字でなぞらえぬものをすべて虚ろと呼んでしまうのか、何かを握りしめるさまを装った空っぽの手のひら
喧噪のわずかな隙間に、細胞が次々と死滅するその音を聞いた気がするんだ
身体の澄んだ蜻蛉が目の脇をかすめる、あれはなんだ、あの虫はなんだ、そいつの成立ちを知らない、知らないものを知るたびにこれまでは何だったのかと自問する、そんなことにいったいどんな意味を探し出せば満足出来る?知らないでいることの方が必ず過半数なのだ―俺は確信を持たない生物、武器も鎧も持たぬまま、戦場を徘徊する戦士の亡霊だ―その闘争心が描き出すものはもはや戦いなどと呼べるようなものではない
渦中にいて傍観する、向こう一面に散乱する死、散らばった死体の目つきを、折れた首の不安な角度を、手首から離れた手のひらを、真っ二つに裂かれた体躯を…海月のようにかぶった血液の温度と、感触を、傍観する、渦中にいて…死が存在しない時間など無いのだ、どんな世界を生きていても…俺は確信を持たない
確信はあらゆる関節を錆びつかせてしまう
夜、道端のわずかな草むらを騒がせる姿の見えぬものたちの蠢きを聞きながら、飛散した円環が冷たい床を鳴らしつづけるような、生命のざわめきを聞いている、生かせてくれるか、俺を生かせてくれるのか、僅かに冷却の余地を残した、まだ僅かに冷却の寄りを残した時の幕間…細かく爪弾かれる弦楽器のように積み重なる―確かに調子を強くしながら
俺の唇はいつでも水を求めていて、死ぬことを怖れている、満たしてくれ、満たしておくれよ、俺の営みに手を貸してくれる者たちよ、俺はいつでもその音を聞いていたい、俺の腹腔を満たしつづけるものたちのさざめきを…水をくれ、水を飲ませてくれ、少しでいいから、ほんの少しで構わないから
濡れそぼった野良犬がすべてを諦めて丸く眠る潰れた酒場の軒先、張り付いた体毛の艶めきにイラついて、錆びたナイフの刃先で少し切り取った、濡れそぼった野良犬はおまけに年老いていて…(もっと哀しい気分になることはこれまでにいくらでもあった)という目つきでほんの数秒俺を見ただけだった―お前の毛玉はこの上なく憎らしい、お前の目につくところに捨ててここから去るよ
ランプ、を模したライト、火のような灯りの下にずっと、入口のドアのところまで引っ張られたいけすかないコード(だけどさすがにそれを切り取るわけにはいかない)、俺はしばらく見つめていた、炎の様に明かりが揺れたりしないかと思って…ゴミを出しにきた店の娘が怪訝な顔で俺のことを見たので、ここに燃えるという概念が果たして存在するのかということについて少し考えていたのだと俺は説明した、そんなことどうでもいいわ、という調子で娘は頷き、それであなたをお客様として扱う必要はあるのかしらと娘は呟いた―その必要はないよと俺が言うと娘はいいとこの出みたいな会釈をして偽のランプの向こうへと消えていった
あの娘はきっと偽の灯りというものについてよく理解しているのだろう
昔は美しかった、というどぶ川のそばに辿り着く―この街の終わりの風景だ―そしておそらく時刻は真夜中に近いのだろう、潜む者の数が増えてずっとざわめいている…昔はそれを恐怖だと感じたこともあった、だけど、いまは俺もどちらかと言えばそんなふうにして暗がり降り注ぐ灯りの数を数えているのだ、偽の炎は闇を揺らすことが出来るかい、模倣された揺らめきは同じだけの温もりをそこに捧げることが出来るかい、渦中にいて傍観する在り方が感じ取るものは細かく爪弾かれる弦楽器の音に何らかの意義を感じることが出来るかい、そしてそれを何らかのやりかたで強く記すことが出来るかい、腹腔は満たされるのかい、アスファルトを踏みしめる腐葉土の感触はいつか渇く時が来るのかな…その靴底でどこへ行こうとする、その靴底でどこへ行こうとするんだ、渦中にいて傍観する、それは、渦中にいて傍観しないものとどちらがより学ばないのか、偽の灯りは、偽の灯りは……


真新しい鍵を取り出すのだ、どちらにしても
すべての物事は必ず降りかかるのだから






自由詩 ひとつずつ死滅する暮れ方からのアルペジオの残響 Copyright ホロウ・シカエルボク 2009-04-12 23:36:32
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