男はつらいよ
北村 守通

 寂しいものです。
 せっかく高知に帰ってきた一年目の春、結局花見に行くこともなく桜は散ってしまいました。まぁ、花見に行くのも多分、一人だったんだろうけれども。夜が仕事のボクは、どうしても周りの人たちと時間が合うことが少なくて、その都度お誘いを丁重にお断りしなくてはいけなくて、ちと辛いところだったりもする。
 さて、そんな夜の仕事を終えて帰路につく際にちょいと寄り道、小腹満たしてやろうかな、だなんてこともやっぱりあるんだけれども、そうしてお店に入ってみると魔性の薬がたんまりと体内に注入されて、赤い顔して視線の定まっていない先客達のすぐ側に席が構えられたりもするんですな。
 そうしますと、聞かせてくださいと頼んだわけでもないのに、様々な会話が背中越しに入ってきます。仕事のこと、家庭のこと、趣味のこともあったりしますが、その大抵はまぁ、時間帯にもよるんですけど『愚痴』ですね。まぁ、愚痴を通して自分を誇示したり、正当性を主張したりするところもあるんですが、たまに「家に帰りたくない…」ともらすなんかズシン、と突き刺さる一声を聞いてしまうときもあったりして、全く関係ないはずのボクのたこ焼きがとてもとても冷たくえぐい味に変わってしまったりするんである。
 そういえば
 ボクの父もオフクロにいいように罵られていたし、手をだされても滅多に反撃することはなかった。(一度反撃に放った拳が間違ってボクの頬を直撃したことがあったが)
親戚達の会合に行っても、公衆の面前で男達は好きなときに罵られていたし、それらを男達は苦虫を噛み潰した様な表情でやり過ごすだけだった。そこで反口(反撃の口撃)ののろしをあげてしまったら、場の空気を潰しかねないですからね。言われても我慢するしかなかったわけですよ。
 子供ながらに、そうした場面を数多く目にしてきた恵まれた(?)体験もあって、正直なところ『男性優位社会』というのは疑問だったりもする。多分、こうした家庭ではケチョンケチョンにされる男性のスタンス、というのは今も太古の昔も変わってないんじゃないだろうか。例えば勇猛な武将達が、よく妻達からの注進を受けて後世に残る英断を下す、だなんて場面を聞かされるが、実際は「あんた、なに考えているの?このくそ忙しいときに!あんたみたいなうつけ者の嫁になって、私は恥ずかしい。」だなんてまくしたてられて、どうしようもなくて、家臣たちと充分に協議して決めた決定を一瞬の内に切り替えなくてはいけなかった、といったことが数多くあったんじゃぁないかと勝手に想像したりしてしまう。
 そう、ボクからすると『男性優位』どころか『女性超優位』としか思えないんですよね。だから男性の中には逃げ場が欲しくて外の世界に出来るだけ滞在しようとしたりする人も居る。こうした逃げ場を確実に構築したくて、『職場』という外の社会においては暗黙に『男性優位』という保護区を築いてきたのではないか、というのがボクの考えだったりもする。(人は多分、これを妄想と呼ぶだろう。)
 実際、職場においてもですよ…女性にはたんまりと罵られてきたなぁ…そして女性の抗議というヤツは何故だか男性を黙らせる何かを持っていたりして、時々ずるいよ、卑怯だよ、と心の中でぐっとかみ締めるしかなかったりすることが多い。(当人比です。勿論)
そして女性の社会進出によって、男性は更に更に身を縮めながら生きてます。実際、ボクも昼の仕事を休職中でハローワークに通いっぱなしなんですが、男女雇用均等法の関係から女性しか募集していない募集にそれが書かれていなかったりして求職票を持って行ったら「受けれませんよ」だなんてことを平然と言われたりすることもある。インターネットである男女間のトラブルに関するサイトを探したりしていると、DVに対する相談窓口を見かけたりするけれども書かれてあるのは全て男性から女性への暴力の構造ばかり。男性が女性から口汚く罵られ続けたり、抵抗をあえてしないことをいいことに好き放題けっとばされたりするのはDVとして申告していいんですよね、とちょっと突っ込みたくもなる。
 ああ、つまりだ
 結局のところ
 男だ、女だなんてことは決して重要なことではないんですよ。
 色々な組み合わせでコミュニティがあり、パートナーが居て、集団で生きているからにはそれを引っ張る流れというものが存在する。その流れがどのくらいの強さを持って他者に干渉しているかどうか、といっただけなんですよね。その流れの方向を判断するのに、物理的に簡単に区別できるから用いられてきたのが性別という分類方法だったりするのだと思う。
 まぁ、話しているこちらの頭が混乱しそうになる話しは置いておいて、男は女のことをわからないし、女は男のことをわからない。わかったようでいてもそれは確証なき確信でしかない。でも、相手の立場に立って考えてみる、そのスタンスが重要なのであって、その結果得られた答えに自信があったとしても、その考えだけで全てを進めてしようとするのは下手をすると妄信にしかならず、平たく言えば『決め付け』になってしまう。対象者が男か女か、というのはそうした考察の際のあくまで一つの要素にしかすぎないのかもしれない。
 ですから
 男だ
 女だ
 とわけて考えるのはあたしゃぁ嫌なんですけどね

 それでもやっぱり
 このご時勢
 男はつらい
 つらいんですよ
 ふと愚痴の一つもこぼしたくもなってみる
 酒飲むお金もないけれど
 


散文(批評随筆小説等) 男はつらいよ Copyright 北村 守通 2009-04-09 15:25:47
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