紫苑
柊 恵
うれしい
やっと気づいてくれたのね
ずっとずっと待ってた
言葉がとどくのを
あたしのことは知ってたよね?
何度か来てくれたもの
今の あなたにも幾つもの痕跡があるものね
うれしいのは、翠月さまに会えることよ…
翠月さま
ひょろんと背が高くて
笑うと目がなくなるんだ
あたしは あの頃が一番楽しかった
翠月さまが村にいらして、あたしは字を知った
そんな素晴らしいものがあることさえ、
知らずに ただ過ごしてた
読み書きを知って
万葉の歌を知って
きらめく物語や
つわものの盛衰や
せつなき生きざまや…
世の中って広い
あたしにも そんな日々が来るって信じてた
十四の あの日までは
日照りさえ無ければ
年貢が払えなくて
おとう と おかあ は
そうするしかなかった
弥助さまは、あたしを
高く売れるって言ってくれた
村の姉さん達の話でなんとなくわかったさ
いくら あたしが子供でも
銀月楼は高級の客しか取らなくて
あたしは太夫になれるって
とても しあわせなことなんだって
紫苑
今日から、あたしは紫苑
おはつは、死んだんだ
せめて翠月さまにもらってほしかった
突き出しは、三嶋屋の旦那様…
おとう と変わらない歳の旦那さん
怖かった
男の人って怖いんだって知った
それから
何人の旦那さんが居たか…
よく憶えていないや
みんな優しくて、あたしを可愛がってくれたよ
いつまでも幼い感じだったから
けっこう引きがあったんさ
男の人って可愛いね
若旦那さんやら、いい男も居たけど、頼りない人ばかりで
あたしは、やっぱり大人の旦那さんに惹かれた
雰囲気がいい
上手だし…
姐さん方の話を聞くと安い娘は悲惨だね
酷い客ばかりで、突き出しも亡八とか
あたしは器量に救われたの
どうしても嫌な人だった時は、翠月さまを想った
終わったあと、悲しくなるの分かってたけど
せつなくなるの分かってたけど
いつも来てくださる賀来さま
偉い お役人様なんだって
気難しくて、とても堅い人
はじめは、あたしの身体を気に入ってくれたけど
ある日、歌を詠んでくれて
返歌したら、すごく喜んでくれた
それからは逢うたびに歌のやり取りをした
賀来様の歌は、とても素敵だったけど、
いつも孤独が香った
そんな時、あたしは賀来さまを抱きしめた
好きかも知れないと思った
ある日、賀来さまは配下のお侍様を連れていらして
宴を催してくださった
篤之進さまは、その中のお一人で、ものすごく頭の回転が速かった
心の機微を見抜く方だった
馬鹿だったなぁ…
あたしは篤之進さまと夢中で話してしまって、
それきり賀来さまは来なかった
あ、篤之進さまのことは あなたも知ってるわね
一緒に働いてるなんて、感慨深いわ…
美鈴屋の若旦那さま
はじめは珠樹ちゃんのお客様だった
あたしは珠樹ちゃんに言ったの
ここは、男の人が遊びに来る場所だから
恋なんかないのよ。って…
なんであんな見てくれだけの人に本気になったの
すぐに乗りかえられるの分かってた筈なのに
あたしを恨むなんて、お門違いだよ
あたしは珠樹ちゃんの客を取ったりしない
そんなに不自由してない
逆恨みされて
刺されるなんて思わなかった
まだ二十歳を少し過ぎたばかりだった…
翠月和尚が駆けつけて、紫苑太夫の遺骸を引き取ってくれた
穢れた あたしを懇ろに葬ってくれた
あたしは、おはつ
心は十三の あの日々のまま
翠月さまの読経が涙で途切れて
あたしは天へ還ったの