短歌の音楽性と政治性 山田氏に応えて
非在の虹

固きカラーに擦れし咽喉輪のくれないゐのさらばとは永遠に(とはに)男のことば  塚本邦雄

一夜にて老いし書物の少女追う最後の頁に地平をすかし  寺山修司

空の美貌を恐れて泣きし幼児期より泡立つ声のしたたるわたし  春日井 建


山田氏が反論を書いてくれたのだが、奇異な感じを受けた。
彼は妙に不服のようである。彼はいったい何を怒っているのだろう。僕は素朴にそう感じたのだ。僕は氏の発言も、作品も非難したことはない。(酔って何かをどこかに書いたようでもあるが、そのとき失礼な言辞を書いたのだろうか)
僕の、僕個人の覚書として、書いたにすぎぬ文章なのに。
しかし書き継ぐうち、僕自身も「短歌とは」など念頭から離れ、心は詩の自由の論理という問題に向かって行った、と白状しておこう。

さて山田氏は、あたかも
「春庭(江戸後期)以前には文法がない」
と僕が言っているように反論しているが、よく読んでいただきたい。そのようなヨマイゴトは決して言ってない。
当たり前の話ではないか。コトバはあるが文法がない民族なぞ、ボルヘスの小説にこそありそうだが、現実ならば、きみが悪い。

また山田氏いわく「種本」だが、本の内容をそのまま書き写してはいない。「やちまた」を読んだのは、10年以上前のことで、手元にその本はない。山田氏は未読のようで、是非一読をすすめる。まことに端正極める文章で、山田氏の暴言も止もうというものだ。

さて、日本語は流動的であろうか、そうでないのか。ここは、山田氏と見解が分かれるところであるが、実証と言うにはあまりに山田氏の論理は印象に執していて、反論のしようがない。

僕の考えでは、宮廷のコトバは流動性は弱く、武家、庶民は流動しやすかった。
関連して、口語と文語の分離に、天皇制が強く働いていると考えている。
和歌の世界は天皇と密着しており、千年一日のごとく留まることができた。
一方で流動する言語の武士と庶民階級がいる。変わらぬ和歌がある。如実なカースト制によって歌は保護されていたのである。

実はこのことは、非常に大事で、制度の存続とはなにか、であり、文法というまさに制度の政治性として、考えることができよう。
ここに詩の自由の論理という問題も生まれる。
さきに言ったように、天皇制というまことに特異な権力構造がからむゆえに、こと歌の方法論に恣意的な圧力は入りやすい。長らく芸術家もまた、権力にすがって生きてきたのだから。嫌な言い方であるが、お先棒を担いだのは、紀貫之しかり、藤原定家しかり。
近代になってから、この問題はあらためて浮上し、そして今も短歌というこの保守性の入り込みやすい詩形では、問題となると確信している。

また山田氏は、
「詩の形式として短歌だけが古来から生き延びているとか言う与太についてはじゃあソネットはどうなんだよ」
とまさにけんか腰であるが、僕は「日本の短歌」について話をしているつもりであった。
確かソネットとは、アレクサンドランとかいう韻の踏み方がある西洋の14行詩のことである。
問題を「日本」に絞って討議することに、山田氏も了解してくれるだろうか。

子規のあの有名な一首については、
「文法的にちゃんとあってる。
むしろ文法が韻律と拮抗した結果そこからはみ出しているのであって、
それはそれで「あり」なのではないかしら。」
と言っているが、山田氏も正鵠を射ている。だが、子規の文章の段で文法のことなど、僕は書いてはいない。
引用したさいに文を間違えていたことの指摘はありがたい。

再度、言わなければならないのは、その苛烈なまでの、ポエジーを生かそうという論理だ。すべてをそこに優先させ、非難を恐れぬことだ。
激しい変革こそ詩の存続の道であり、ことに勅撰和歌集(まさに天皇制)が歌の最高峰と言われている社会で、当然血も流れたであろう革命があってこそ、こんにち僕らも、短歌を<歌えている>と思っている。

すなわち、和歌は「短歌」として、俳諧は「俳句」として、それは一見マイナーチェンジのように見えながら、そのポエジーはまったく別のものになっているのだ。
それが僕が言いたかったことだ。

あらためて言うが、僕は自分の短歌の方法論として、「調べ」の重視をうったえる。
山田氏は『「調べ」とか言う独自の概念』と言っているが、独自の概念ではさらさらない。

近代、現代短歌とも、まことに論争が多かったのだが、そのなかですでに盛んに言われて来てもはや「短歌用語」である。
もちろん王朝の昔も歌の可否について言われるコトバでもあった。

ここで、少し「調べ」について言いたい。
僕は前に書いたようにむしろ「音楽」と呼びたいのだが、それは韻、律だけではない。
語の切れ方、語音数、母音、子音のならび、それらすべてが総合されて一首の中で奏でられる。
それが調べであり、音楽だ。

それが「個人のポエジー」を「人々のポエジー」に変換する動力だと考えているのだ。

それは、五、七、五、七、七、のリズムだけではない。
現在の「わたし」が現在の「社会」で生きる以上、さまざまに複雑な音楽(リズム)が必要であり、破調こそなければ、現代の歌は成立しない、とまで考えているのだ。
当然のことながら破調、乱調さえあればいい、というのではない。どんな音楽を選ぶかが、まず、ポエジーの伝達に不可欠なのだ。

子規の例の歌は、破調である。破調のよさがある。
その音楽としての面白さは、「三句目字あまり」だからではない。
ならば、誰でも「三句目字あまり」の歌を作ればいいことになる。
「三句目字あまりになるということ以外に俺には元の歌と改作の区別が付かないし、
大体最初に出した子規居士が堂々と三句目字あまりやらかしてるじゃないかよ」
山田氏はこう言う。
まったくそうなのであろう。山田氏の間違いは、山田氏が「元の歌と改作の区別が付」こうが付くまいが、僕への文学的批判になりえない事である。
あたりまえだが、子規の歌と僕の歌は、内容も音楽もまったく違う。そもそも子規と比較することが不遜であろう。

文法に話を移そう。
僕が怪訝な気持ちすら抱くのは、

進水式すみシ   ドックに高波の波おしよせる暗き海より

このような過去形を「シ」で表す語法をなぜ使ってはいけないのか。ということだ。
あらかじめ言っておけば、先の用語を使う使わないは、僕の歌の客観的価値とはまったく関係ない。
再三、言うようだが、このような動詞の終わりにシをつけて過去形とするのは、多くの歌人、俳人、詩人が使っている語法だ。

正直に言えば、僕の歌の文法、韻律の乱調など、現代短歌の世界を見渡せば、「かわいい」としか言いようがない。

実は、そのことは、僕の歌に注意をしてくれたその人が何よりよく知っているだろう。
彼はにがにがしい思いで、それらの定型短詩を見ていることだろう。

最後に、文語的短歌を歴史的仮名遣いにしなければならない根拠などどこにもない。
それこそ、個人の自由である。
これについては、寺山修司の未発表歌集『月蝕書簡』が文語であるにもかかわらず、すべて現代の仮名遣いになっていることのみ書いておく。

あらためて、僕はなぜ、山田せばすちゃん氏から反論されたのか。
山田氏の歌は口語不定形だ。文法の一部変更よりもより前衛的である。

それにしても、
ヤマダセバスチャンVSランラララン・・・・とは、

如何にネットとはいえ、僕もハンドルネームのつけ方を間違ったと思っている。



散文(批評随筆小説等) 短歌の音楽性と政治性 山田氏に応えて Copyright 非在の虹 2009-04-05 12:33:37
notebook Home