邂逅
aidanico

きみはきみをけそうとするかぎりぼくからはけっしてはなれられないことになるわけだし(それはぼくがぼくをおもいだそうとすればするほどぼくをみうしなうこととおなじように)、またぼくをひていするにしたがってそれはすなわちぼくをみとめることにきづくだろう、もしそれをしょうちのうえでくちにだしたり、いたがったり、またはなんにもいわなくったって、きみにはそれらのこういをみずからではんだんするじゆうがあるわけだし、なんぴとたりとも、ましてぼくがきみをそくばくできるものではないとじゅうぶんにりかいしているだがしかしきみがいくらあしばやにあるこうとも、あるいはたいようをさけてふかくふかくちのそこまでもぐろうとも、きみはそこでぼくのりんかくをにおいをこえをもえるようなたましいをおもいだすだろうし、そのことはきみじしんにもひていできないはずだ、だからこそぼくはきみにあててかくのだ、このてがみを、きみに、きみが、ぼくを、わすれたいのならばいましっかりとぼくをやきつけておくのだ、ふらっしゅをたきつけるように、あらあらしくらんぼうなてつきで、まっくろにいぶすのだ、いつしかそれはあわくふうけいにとけるようにかぜにさらわれてゆくよ、ああ、さようなら、さようなら。であってしまったことがまちがいではなかった、かといってはなれることもまたひつぜんであったのだ、さようなら、きみとであったぼく、ひらひらとおもいでがそらにまいあがろうともきみにはなにひとつだってのこらない、ぼくはきみとのわかれをみとめても、それでもしんじんぶかいにんげんでいられるかしら、まっしろなふうけいにことばをうしなってなみだをながすかしら、それともこえがつぶれるまでわらうかしら、さようなら、さようなら、めぐってきたことが、はじまりでありおわりであったのだ、しっていたよ、ほんとうは、


自由詩 邂逅 Copyright aidanico 2009-03-22 00:12:49
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