てにをはにはめを
aidanico

悪いけれど硬質な言葉を紡ぐ機会は生憎持ち合わせていないので、絹にはなれず綿にもなれないレーヨンの立場から言わせて貰うと、矢張り立場が不利である。斜交いに物事を見る奴だとか、根性が曲がっているのだとか、全面否定は出来ない理論に限りなく近い占いに怯んでしまうのだけれど。つめはあかいかてはしろいかくちびるはあわいか。湖に映った顔はどれも均衡の取れない素描のようだ。言葉もそれに習ってゆらゆらと水面を漂っている。今発した言葉はイだったそれともヰだった?或いは聞き取れないほどのか細い声で、違う何かを呟いたのかも知れない。こころゆかないまでも空間と言葉の羅列は奇妙に覆い被さっていく。それはまるで初冬に枯葉が水に舞いそれぞれの重みに耐え切れずに沈んでいくように。だから使い古され萎び草臥れた軽さが丁度良い。あるときは絵画の隅に畏まっているのがその付加価値を加えられるときもあれば路上の書道家と詩人を名乗る旅人に「あなたのお値段で」と一度は困惑してしまう気遣いを振舞われることもある。酷く息が切れるような寒さに芯まで冷える夜だと綴らなくとも、もう背中が震えている、震えた背中が空気を振動させる、それが窓まで伝わってガタガタと音を立てようがなんら問題はない。人が饒舌に成れば成るほどにその意味本来からかけ離れてゆくのは自然の摂理だ。枯葉を掻き分けて、岸から手漕ぎの小舟が出るように。それは教科書の合間に白黒で挟まれたような、まるで当たり障りのない風景であるのだけれど。


自由詩 てにをはにはめを Copyright aidanico 2009-03-17 21:46:43
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