研究「緑川びの」
生田 稔

研究「緑川びの」(1)


緑川びのを取り上げてみたくなった。詩人だと思うからだ。よくは知らないが私なんかとは、違って詩しか書かないほうなのではないか。現代詩フォーラムでは一番良く読んだ詩なので、取り上げないわけにはいかなかった。
では私は彼女の詩に初めから好意をもっていただろうか、そうではなかった。でもそれにしても、私も詩を書くので、自分の詩とかみ合わないぐらいの気持ちからであった。彼女が男であるという説が流れたことがあった。彼女が自己紹介で記している、ちょっとお尻を・・・という記述が女らしくないという人もおられた。私にもちょっとだけそんな気にさせた言葉だった。その後緑川さんはその表現を削除された。だけどそのその表現ほどそれまでとその後の緑川さんをよくあらわしているといったら失礼だろうか。
前置きはそのくらいで、緑川詩は非常に多く、多彩で深い。どちらかといえば小説家になられたほうが向いているぐらいの詩が多い。でもやっぱり彼女は詩人である。小説家になったって、これほど人気が出たかどうか。
3篇づつ詩評してみることにした。

死想
緑川 ぴの

思想が消え去った
世の中で
金の重さだけが
身にしみる

生の果てに迎える
死でさえも
路上で死に絶える者と
大学病院で手厚く
看取られる者がいる

同じ死であっても
同じ死では無い
無縁仏の墓石の前に
手向けられた
枯れた一輪の花

念じても
無駄は無駄
懐に忍ばせた
遺書代わりの借用書に
思想の文字が消える

今の彼女の詩とはだいぶかけ離れていると一見思えるが底辺でつながっている。つまり社会の悪に立ち向かう詩である。そういうのはおおげさか、思想が死んでしまったこと、思想は遺書代わりの借用証にすぎない。詩人は詩の結びに自分の主題を必ずと言っていいほどにおわす。この表現は、私などに言わせると「神は死んだ」という哲学者たちの思想に結びつく。緑川さんは実存主義といっていいほどのことをこの詩に含ませている。
ながながと拘泥することもない、このぐらいにして次だ。



恋愛死
緑川 ぴの

誰かに
みせつけるように
差し出した
蒼白い手首に残る
ためらい傷一筋
取れかかった瘡蓋
赤い傷口に
鈍く光る刃先

何故に
ためらったのか
死の際で垣間見た
希望と言う名のまほろし

もしくは
生きる本能に妨げられて
こめたはずの力が
するりと抜けて

あるいは
都合の良い言い訳を
はじめから
用意していたのか

死に損なった
この街で
うらべだらけの
ぬくもりに抱かれ
絶望と言う名の
朝がはじまる


 この詩に前詩のごとき深さを解くことは簡単だ。それよりももっと軽いものを求めよう。この詩のほうが少し軽い感じがする。リズムがあり暗い主題を明るく見せる手法がある。女性の特性が随所に見られる。女らしくまとめてある。
うらべだらけの
ぬくもりに抱かれ
絶望と言う名の
朝がはじまる
 私の家内などもこんなところがある、絶望と言っていいほどの朝、ひよっとするとそうなのに、今朝も元気に勤めに行った。私も彼女もあるのはうわべだけのぬくもりである。妻のぬくもり、それにほだされて、今日も私は詩の仕事をしている。どうなるのか分からないこの仕事を。
次の詩に移ろう。

ホームレス
緑川 ぴの

何故かホームレスは街に棲む
しょざいなげに地下道に
初夏の花咲く公園に彼らは居る
両手いっぱいに袋を下げて
おきまりのレゲエ状態のヘアスタイル
かの国でも何故か彼らは
ショッピングバックを両手に
下げているらしい

あの袋の中には
彼らの全財産が入っている
あの袋の中には
彼らの希望が入っているのかも
知れない

もしかすると
誰かに声をかけられるのを
もしかすると
誰かに助けられるのを
彼らは待っているのかも
知れない

虚ろな瞳の先には
美味しそうなコンビニの
期限切れの弁当
では無く
誰かの垂らすくもの糸
が見えているのかも
知れない

テレビで彼らの生活ぶりを
取材した番組を見たが
押しなべて彼らは良い人らしい
つまり
良い人は皆ホームレスになる
可能性がある
善男善女の明日は
ホームレス

もしかすると
誰もがホームレスかも知れない
帰る家が本当にあるのか
一夜の雨を凌ぐ為
魂を誰かに売ってまで
ひとときの安らぎを得ているのは
自分を騙して人を騙して
心から文無しなのは
もしかすると彼らでは無く
わたしたちなの
かも
知れない

 良い詩である。心からそう思う。そしして前2作と同じく社会問題を扱っている。ホームレスに対する洞察といったらよいのか、ホームレスの許容、あるいは人心の一新などいろんなことを語りかける詩である。裸のホームレスに対する、自分たちの劣等性も言う。読めばだれでも心を許して近ずいてくる。この辺が彼女を好む人の多い所以である。この詩を読んだ人たちのコメントにもそれが出ている。これからの彼女の詩を決定づけている詩ではなかろうか。同時に一つ言い添えておくことがある、この現代詩フォーラムを企画してくださった管理人さんの徹底した管理法が今日もよく私のこの拙文を助けて下さったことを。


散文(批評随筆小説等) 研究「緑川びの」 Copyright 生田 稔 2009-02-13 10:31:47
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