(とうとう…)
ケーチェ

とうとうからっぽになってしまったのに、それを充たすための夕暮れはまだ十分に短いとはいえないから、もうかなしさだけしか残っていない砂時計のなかで渦を巻きながら赤くなってゆく針が、たとえば海のうえにあるものだけが船なのではないとでも言いたいかのように町外れの路地の水のない排水溝のなかでとつぜん難破してしまった一艘の渡し船の、破れた板の裂け目に挟まれながらしめっているという一枚の写真に結ばれている一本の赤い紐と同じものだったとしても、それを耳と呼ぶには小さすぎるかもしれない羽から血を滴らせながら風に運ばれて屋上でわたしたちが見たあの夕暮れの赤い光は、いま、永遠に靴底にこびりついたまま、やがては靴紐のように生え出てくるであろうナメコにねばりけのある水を与えることにしかなりはしないのであって、やわらかすぎて噛むことが難しかった秋の味覚が、とうとうこんなに硬くなるまで黒くなってしまったいま、取っ手の壊れた蓋をすればよかったと悔やんでいてもしかたがないし、だいいち胡麻豆腐は焼けばできるというものでもないのだから、いま、流しのしたで何かを閉じているかのようにがたがた震えている蓋をいまさらしっかり押さえてみたところで、そこから吹きこぼれてくるのは薔薇ジャム入りの紅茶などではなく、消防車のなかで赤く凍りついている一滴の目ぐすりに違いありません。


自由詩 (とうとう…) Copyright ケーチェ 2009-02-12 21:35:46
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