新国富論(1)
生田 稔

新国富論(1)

 国富論という書物はあまりも有名である。しかし現代においてこの国富論なるものを読んだ人はあまりいないかもしれない。岩波文庫で全6冊のこの書物を20年くらい前一年がかりで読んだ。面白かった。今では「諸国民の富」という題でこの本は知られている。アダムス・ミスという人物の著で、その殆どは、書斎の産物であると、巻末の解説には述べてあった。この新国富論もいわば書斎の産物である。長い間世界の平和と繁栄を願うのあまり、考察をめぐらし想を練っていたが、今日午後6時にわかに想を得てかくしてキーボードに立ち向かったのである。
 私は早速ではあるが、問題をアジアの平和ということから入ってゆきたいと思う。アジア全域はすっかり統一されたことはかってなかった。アジアをどこからどこまでをアジアと呼ぶかは大いに問題である。私は西の境をイスラエルとする。イスラエルはもともとセム人の国であり厳密にヨーロッパとの境を接する所ではなかろうか。
 アジアは貧しい、それが大きな問題である。ただ今は日本のみが豊かな国として存在している。日本の豊かさはどこから生まれたのであろうか、海国として、東洋の果てにあって、永くその自然の要害、つまり四囲海であるゆえに、容易に攻撃を受けることがなかったことも一つ、東洋の果て極東にあることは被征服民となることが遅れたゆえんであり、日本の閉鎖性、つまりは徳川時代の、鎖国主義は国民を攻撃のみならず他国の文明に毒されることも少なかった。故に他文明を緩やかに取り入れ、自国の独自性をも失うことのなかったこともあるのではないか。
 今日もテレビでは国会の委員会の放映を見ながら、以前からの考察対象であったエネルギー問題について考えた。私の脳裏には人間の数多なる糞便が浮かび上がった。この糞便こそ、エネルギーの問題を解決するのである。このことについては、以前あるところで書いたがほとんどの人が心を向けなかった。
 世界のいたるところで糞便は燃料として用いられていることをご存知の方は多いであろう。多言を待たず、糞便を燃料とせよ、神のごとくに為政者に申し上げたい。これほどふんだんにある余り物を利用せずに何を利用するのであろうか。ノウハウは科学者やその他にまかせ、私はそのことのみをただ主張したい。とくに人間の糞を利用すればよい。知恵のある人ならたちまちその構想が浮かび上がるのではないか。
 これは世界の平和に大きく寄与することではないか、平和だけでなく、貧困のことも解決する。太陽・水・地下資源その他もそれに付随して、使うことができる、糞便が世を救う、そうではないか、もう一度言う、糞便が世を救うのです。


散文(批評随筆小説等) 新国富論(1) Copyright 生田 稔 2009-02-03 17:36:24
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