創書日和【嘘】 告白
大村 浩一

懺悔をしたいのです
普段は書く事もない漢字ですね
ペン一本で世界を変えてきた私の
言うことですから信じないで下さい
けれどもこれまで嘘をついて来たことを
皆さんに懺悔したいのです

ほんとうのことを言いましょう
まず次郎長一家の末裔と娼婦の子というのは真っ赤な嘘
実は父は国家公務員 母は電力会社の役員の娘
けれど幸福な家庭にと思いきや
父は職場拒否に陥り12才の時に首吊り自殺
働きに出た母は勤め先の電気工事士とデキて逐電
やむなく施設「全滅園」に預けられたものの
あまりの粗食に耐えかねて脱走
以降各地を転々とさまよい
いつどうやって大検を通ったものか
東京まんが大学電子工学科に入学
「人妻!」のギャグを授業中に堰沢君から学び
(この詩はこの後もずっとこんな調子なので
 詩を心の糧にしたいような人は読まないほうがいいですョ)
卒業研究は夏休みの朝顔観察日記
当然就活には失敗 止むを得ず
ウエハースを大量に作る機械の修理屋を4年やりましたが
正月も返上の激務に音を上げて退社
スーパーのレジ打ち、女子医大の床掃除などを経て
ようやく零細企業の営業職になんとか収まり
あとは嫁さんでもという段になって
なんだか青臭い事を思い全てがイヤになってとびだし
どこかの居酒屋で酔いつぶれ
神崎某の差し出した紙にサインしたら
翌朝には二日酔いのまま乗せられていた
そうあの悪名高き東シナ海の海賊船
『実験艦シュレスヴィッヒ・ホルスタイン』に

どうしてこんな事になったのかさっぱり判らない
何故こんな船に乗り合わせたのかさっぱり判らない
元は1908年建造の前ド級戦艦ドイチュラント級の一隻
1945年3月グディニアで処分されたはずが
某国政府機関が007のスパイ母船とすべくサルベージし改造を重ね
米・独・日・中をはじめ関係諸国の政府が
勝手な思惑でこの船の正体も確かめずコントラ式の支援を与えた
食料も女も無いがタダ酒と燃料弾薬だけは届くため
アジア太平洋海域を適当に荒らし回る私掠船となった
経緯が経緯だけにどの国家も存在を認めない
『実験艦シュレスヴィッヒ・ホルスタイン』
私は約四年間この船に同乗し
記録係として戦場カメラマンを勤めるつもりが
この船の雰囲気についつい感化され黒服の戦闘員たちと
殺戮に放火に掠奪・強姦と三光の限りを尽くしました
冷凍船「第三東京市丸」の拿捕にも参加
飯盛女の悲鳴と船員達の憎悪の目 いまでも忘れられません
最後には発狂したミュッケ艦長自身による船火事で
海南島の北西約200キロ洋上で炎上爆沈
私はコック長と風船爆弾で脱出
焼津のマグロはえなわ漁船「第六福竜丸」に救出され
1999年12月8日に日本へ生還

今は幸いにも
別の小さな出版社に仕事を得て生活していますが
実験艦シュレスヴィヒ・ホルスタインの話は
誰も知らないしまた信じようともしません
「世界の艦船」の海人社に問い合わせても
『シュレスヴィッヒ・ホルスタイン』に関する記録はグディニアで終り
ペン一本で世界を変えてきた私の
言うことなんですから信用して下さい
あの船の薄暗い動く図書室が懐かしくて
つい「詩人図書室」なんてものを作ってみましたが
真面目な他の仲間とは違って私は
動く部屋さえあれば十分なのかもしれません
今日の私は司書はしませんよ
3月10日に死んだ金魚の喪に服していますので


2009/1/28 大村浩一


自由詩 創書日和【嘘】 告白 Copyright 大村 浩一 2009-02-01 09:05:18
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