夜光列車
木屋 亞万

北行列車は、かれこれ数年間は立ち往生している
車掌はいつも困り顔で客室に説明をしに来る
私はそれを聞かずに窓の外を見ている
雪が窓に張り付くとふわりとした光を持つ
「蛍の光、窓の雪」と歌ってみたりする
次から次へと雪がひらひら窓を惑わせて、
ふわりふわりと窓が光ながら痙攣する
蛍雪の功という言葉がよぎり、
曇る窓の目蓋をこすると、雪が静かに死んでいく
泣き崩れるように溶けてゆく、そのか弱さは嘘だと思う
雪が生きていないのなら、蛍が生きているなんて嘘だと思う、
雪が生きているなら、蛍もきっと生きているのだろう、同じ月光の魂を持って

車掌は説明する
「ある男は昔、男の子でした
楽しければ笑うし、可笑しければ笑う
気に入らなければ癇癪を起こして、暴れるし、泣く
でもある日、泣くことを禁止されるのです
それは空に雨を降らせるなというようなものです
男の子はそれから、笑いも泣きもしません
晴れた熱で蒸発した水が、雨の源なのです
雨上がりだからこそ、晴天がカラリと光るのに
それ以来、この辺りはずっと雪で、この列車も動きません」

列車はどこからともなく伸びてくる電線から
電気を供給して、車内の灯りを維持している
真夜中の雪原でこの列車だけが光る、その光に雪は集まってくる
虫たちも寒さに負けず、飛んで灯に入る夢を見て
次から次へと窓ガラスに羽を擦らせている
そのなかに蛍はいないかもしれない
しばらく太陽を見ていない、それはまるで遠い昔の神話のようで
空には雲さえなく、月もいない、空の出演者たちは
舞台袖まで伸びている電線に紛れて、照明設備や音響設備に紛れている

「男の子にとって、兄の自転車の荷台は新幹線そのものでした
耳の横を、風の子どもたちが駆け足で過ぎ去る気配が楽しくて
男の子は、自分も自転車に乗りたいとよく思ったものでした
彼の兄は七つも年上で、ハンドルがカマキリの自転車を
かっこよく乗り回していました、その荷台は男の子の指定席でした
長い下り坂を直滑降、ノーブレーキで駆け抜けるのが、彼らの流儀でした
その日は雨でした、いつものように兄は彼を迎えに来る予定でした
彼の兄は片手に傘を差しながら、坂道を下っていました
坂道を八割ほど走った頃に、坂のすぐ下にある踏切が閉まりました
兄は慌てて右ブレーキを強く握りましたが、濡れたブレーキは悲鳴をあげるだけ
小さな新幹線はこの列車に衝突してしまいました」

「男の子の父は、彼に泣くなと言いました
男の子は泣きませんでした、すると視界が少しずつ暗くなってきて
どうしてか息をするのが苦しくなってきました
それでも彼は泣かず、笑うこともできず
静かな暗闇の中、彼の兄と電車を心に閉じ込めたのです
男の子は、今はもう男になってしまって
彼の兄は、おぼろげな後姿、写真の中だけの存在になりました
それでも列車は昔のまま、彼の悲しみの雪原で
雪に包まれて、凍えながら光り続けているのです
そのため、この列車は現在も運転を見合わせております」
車掌はそう言って深々と頭を下げた


自由詩 夜光列車 Copyright 木屋 亞万 2009-01-24 18:38:56
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象徴は雨