雨の朝、高野山にて
渡邉建志

悟りを開かんと高野山へ赴くも、悟りを開くにはイージーすぎる気負いと、その程度の気負いでは三昧境を感ずることもできぬほど開発されきった環境(観光バスがブンブン走っており、徒歩で参拝している僕はどんな都会でも浴びたことのないほどの排気ガスを吸い込んだ)のため、僕はまったく鬱々とした気分であった。ユースホステルに予約は入れてあったが、泊まらずに帰りたい気分だった。たどり着いたユースホステルの談話室にはドイツ人のヘニングくん(21歳、次の行き先は四国、お遍路一人旅)を囲んで3人の女の子が英語で話しかけていた。将棋盤があったので、将棋できる人いますか、と聞いたら、ひとり女の子ができるといって、僕らは2局打った。

次の日の朝、僕らは二人で真言密教の儀式(500円、真っ暗な中で偉いお坊さんのお経とお話を聞き、お経を書いた紙を授けられる)を受けに行った。それから、金剛峯寺に入って、さっきの儀式のこととか、襖絵のこととか、大学で何を勉強しているのかとか、そんなことを話した。瞳の澄んだきれいな女の子だった。それから、彼女の本に載っている胡麻豆腐やさんにいって胡麻豆腐を食べて、それから別れた。別れ間際に、彼女は赤い傘の下ですこし考えてから、「名前は?」と聞いてくれた。僕は答えた。「渡邉さんは、」と彼女は言った「きっと頭がいいから考えすぎるんですよ。考えないでやってみたらきっとうまくいきますよ。」そうだろうか、よく分からないけれど、彼女はとても幸せそうに見えた。そんな人が僕を気遣ってくれるというのは、とてもうれしかった。幸せが僕にも分け与えられてくるような気が少しした。

後ろを振り返って、赤い傘が歩いていくのを見ながら、さっき挨拶したことば、「いつかどこかで」を思い出した。本当に、いつかどこかでまた会えたらいいな、と思った。連絡先なんか、聞けなかったのだけれど。


散文(批評随筆小説等) 雨の朝、高野山にて Copyright 渡邉建志 2008-12-02 05:25:01
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