リヨンの月
aidanico

十二月の近いような夕暮れも移ろおうとして、ボジョレ・ヌーヴォーが解禁と言って景気よく人々に振舞われる様な頃、“ツキ”という名の男は綻びもせず転びもせずロビオーラの癖のつよい薫りを愛おしそうに嗅ぐのでした。何故そんなにも臭い薫りを好むンだい、と隣の“ホシ”と呼ばれた男が不思議そうに尋ねると、「俺は“ツキ"だからね、嘘吐きのあまのじゃくなのさ」と意地悪く目を細めて微笑みながら返すのでした。「だがきみ、ツキという言葉には幸運という意味もあるからね、」と付け加えて、ツキはじゃあこの一番上等なのを、と言って少しも惜しみもせず一万円札を差し出すのでした。一方のホシはというと、「君はよっぽどの物好きだよ、こんなもの、本物の葡萄を採って食べたほうがどんなに美味しい知れない」とその遣り取りを終始大層不満げな様子で文句を挟むのでした。それでもツキは軽くあしらうように片頬を上げてホシに向けて表情を崩して見せ、あ、それと折角だからケースに入れてくれ、ついでにリボンは赤で頼むよ、と嬉々として物事を進めていくのでした。そしてホシに「やあ君、奥の小型電子機器のコーナーをご覧よ、欲しがっていたソニーの新しい分じゃないのかい」と宥める様に言うとホシは目を輝かせて丁度三日前に出たばかりの、電子機器というよりかは薄いICカードのようなものに飛びつくのでした。その時きらきらと輝いていた瞳は一瞬にして私に一種ノスタルジックと言える彼の愛称も伊達ではないと思わせるほどでした。ホシは、先程までの石のような態度とは打って変わり、売り場の店員を絶句させるような専門的な言葉を水の流れるような流暢な口調で並べて見せました。おいホシ、お店の人をあまり困らせるもんじゃあないよ、とツキが見兼ねていうと、だってツキ、この人これの三代前の型番も言えやしない、明らかな勉強不足だ、この機種がこの薄さになる為に製作者のどれだけの苦心があったか彼はもっとよく知っておかなくちゃあいけない、と半ば興奮気味にまくし立てるのでした。ツキは「ラッピングは続けておいてくれ、直ぐ戻るから」と言って弱り果てた店員に愛想笑いをし(歯並びがとっても良くて透き通るような白い歯でした)、ホシに一言何か耳打ちをすると、途端にホシは大人しくなり、「じゃあこれも頂くよ」とカードを出してするりと品物を手に入れてしまいました。「待たせたね、ありがとう」と言ってワインを受け取ると、ふたりはそのまま商店街に消えていきました。あとでお釣りを渡すのに気付いて追いかけたのですが、もうふたりは見当たりませんでした。もうすっかり暗くなった空を見上げると、月が僅かに輝いた気がしたのですが、私が瞬きをしている間にいつの間にか雲のなかに隠れていったのでした。 


散文(批評随筆小説等) リヨンの月 Copyright aidanico 2008-11-21 00:49:29
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