<SUN KILL MOON>-fine
ブライアン

 太陽は月を殺す。早朝、渋谷、センター街。青白い空に太陽は輝く。その光は月を貫く。月は今にも消えてなくなりそうだった。だが、その姿を見るものはいない。歩く人たちは、輝く太陽の光を片手で遮っている。眩しそうな視線。目を細めている。光はビルに反射していた。子供と田舎者ぐらいなのだ、輝く太陽よりも青白い空が気になるのは。きょろきょろと辺りを見回す、指差す。月を。消えてなくなりそうな月を。死んでしまう。太陽に殺される。その光りにっよって、とそう思うのは。
 
大学時代の恩師は言った。何かの作品について書こうとするならば、その作品について何か疑問が生じるはずだ、と。そして、それが書くきっかけとなるのだ。むやみに言葉を続けても、作品には近づけないのだよ、と。物語と「自分」との間にはいつも不協和音が起きてしかるべきなのだ、と。
 laver氏の「月」(http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=167675&from=listbyname.php%3Fencnm%3Dlaver)をめぐる。不十分すぎる出発。疑問から生まれなかった文章。書き進めるにつれて生まれてくる疑問。恩師の顔が浮かぶ。だから言ったのに、と笑っているだろうか。いくつもの問いが頭をよぎる。問いが問いを生み出す。「熟れ過ぎた果実のよう」なものは何だったのだろう。視線は、何を見たというのだろう。月、太陽。もしかしたら、全く別のものだったのかもしれない。「井戸」から見たのは誰だったのだろう。「自分」、「他人」もしかしたら、これも全く別のものだったかもしれない。そして、「井戸」はどこにあったのだろう。どこから視線は投げられたのだろう。

 無数のグリッドによって現在地が定められる。経度、緯度。ここにいる事実は、数値によって導き出される。北緯38.5度。東経140.2度。だが、それが何だというのだろう。その数値が何を示したというのだろう。それらの根拠がなんの役に立つというのだ。役に立つはずはなかった。太陽は月を殺したのか。月の光は太陽の光だったのか。「自分」は過去の「他人」だったのか。それらの答えが何になるというのだろう。ただ、指差す言葉があった。指差す視線があった。それらが正しい場所へ導こうとする。ここが月であったとしても。地球であったとしても。視線は「他人」に触れる。その視線は重なる。

 1枚の紙が机の上に置かれていた。その横、ペンが転がっている。紙。2つの円が描かれている。2つの円は中央部で重なっていた。その部分が黒く染められる。強い筆圧で。矢印が伸びる。その先、魂という文字が書かれていた。天井に向けられたタバコの煙は、空中で消えた。友人はその煙を追う。タバコを持った手を口もとへ運ぶ。もう一度煙を吐いた。同じだった。煙は消えた。魂になったな、と友人は言った。部屋の中は煙臭かった。重なっていた。煙が。机が、1枚の紙が。ペンが。友人は欠伸をした。もう寝るよ、と言う。机に置かれた紙を手で持ち上げる。眠りに着く前に、部屋を出よう。扉を開く。もうすぐ夜明けだった。外へ出る。正面には月があっただろうか。目の前には紺色の空があった。朝が夜と触れ合う。重なる。涼しい夏の日だった。バイパスを横断する。雀の泣き声がした。車はほとんど通っていない。信号機が虚しく青く光る。家に着いたら、すぐに眠ってしまうだろう。眠気が襲ってきていた。

 無数のグリッドなどいらない。ましてや触れることの出来ない言葉などなんの役に立つのだろう。「井戸」の場所を知る必要はなかった。それはどこでもない。無数の命が、生れ落ちた場所なのだった。そこから何を見たというのだろう。それもまた、同じだ。何ものでもない。無数の命がそこにあっただけだ。そして、無数の命の死が。鮭のようだ。チルチルとミチルのようだ。生まれた場所を知るために、遠くへ視線を投げる。そして、再び「自分」へと帰ってくるのだ。

 渋谷、センター街。生れ落ちた場所は、いまだ見つからない。ここは「井戸」の底だ。


散文(批評随筆小説等) <SUN KILL MOON>-fine Copyright ブライアン 2008-11-12 22:40:39
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