生きてる
サナギ

おっす生きてるか?
俺はよく分からねえ
飽きもせず、墓標みたいなのを背負ってとぼとぼ歩いてるからな

よく「生きる意味」「生きているという実感」と言うが
俺にはねえ
まったく
じゃあ何だと聞かれたら
「生きてるような死んでるような意味があるようなないような」
「生きてるような死んでるような実感ともいえるようないえないような感じ」
まあそんなだ
と言うね

何だそりゃって思うかも知れねえが
案外いいこと言ってる気がしてきた
俺みたく、文字とか電気信号の世界にいる人間はまさに
「生きてるような死んでるような意味があるようなないような」もんだろ
映画や漫画の中にいるやつらだってそうだ
だが
そいつらとお前らどこに違いがあるんだ
そいつらが文字だの絵だの映像だのつまりドットの集まりに過ぎないとしても
お前らだって分子原子電子というドットの集まりに過ぎないわけだろ

生きてるっつったって
ドットが風で入れかわり立ちかりして盛り上がったりへこんだりしてるだけだ
この足元の砂丘みたいに

意志があるっつったって
その分子原子電子がただ風に吹かれて盛り上がったりへこんだりしてるだけで
それを意志だと勘違いしてるだけかも知れない
お前らは
俺が足を取られながら歩いてるこのくっそたれな砂丘じゃないと
確信持って言えるか?

よく「生きる意味」「生きているという実感」と言うが
俺にはねえ
まったく
じゃあ何だと聞かれたら
「生きてるような死んでるような意味があるようなないような」
「生きてるような死んでるような実感ともいえるようないえないような感じ」
まあそんなだ
と言うね

お前らもそう言ったらいい
少なくとも
「生きる意味」や「生きているという実感」が
あるとかないとか
手に入れなくちゃとか絶対あるべきじゃないかとかで悩むことはなくなる

お前らが悩むべきことはほら、
何で俺がこんな重たいものを背負って
延々と砂丘を行かなくちゃならないか
そういうことだろう

そういうわけで最初の挨拶を変える



おっす 生きて/死んで るか?


自由詩 生きてる Copyright サナギ 2008-10-17 15:37:58
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