「宏美の心配」
菊尾

夕食を皆で食べていた私はふと気がついた。
視界の端に何か動いた気がしたので何気なしに見てみると、依子だ。
横目でじっとりとねめつける様に様子を窺っていると、やはりこの女、伸縮を始めた!
まただ!またやらかしてる!
依子の伸縮はじっくり観察しないと気が付かないがそれが終わると確実に大きくなっているのである。
依子は増大化する。それも地味に。縦に横に斜めに物凄く微妙に伸縮を繰り返した後、大きくなるのである。
それが今始まっている!私は周りに気づかれないように気をつけながら依子に耳打ちをした。

「依子、依子、ちょっと大きくなってきてるよ。」

依子は、え、うそっと驚いた顔をして自分の身体に目を向け確認すると、あ、やばっ。と、呟き深呼吸を始めた。
自らの増大化を食い止めるには気を落ち着けなければいけないらしい。
スーハースーハーと目を瞑り何度か一連の動作を繰り返すとそれは止まった。
しかしそれは伸縮が止まっただけであり既に大きくなってしまった部分は時間の経過に頼るしかない。
収縮は増大と同様に時間をかけてゆっくりと元の形へと戻っていくのである。
その際にも身体の伸縮は起きているのだがそれは気にならないらしい。
「だって元に戻るわけだし。結果よければ全てよしでしょ。」といつかの依子が脳裏に浮かぶ。
現状として依子は私よりも5cm程度大きくなっただけのようだ。
再びいつかの依子が思い出された。あの時依子はブランコを扱いでいた。お酒を飲んだ帰り道、明け方に小学校へ忍び込んで二人でギーコギーコしていた時の会話。

「なんかいい気分だから言っちゃおうかなぁ。あのね、あたしね、増大しちゃうの!」
にっこりと微笑みながら私に投げつけてきた直球であり魔球でもあるその発言は最初私の元には届かず、ああ酔っていらっしゃいますねぇなぁこの娘さん。と思わせる程度だった。
そんな生温い私の視線を察したのか彼女は「わかんないよね。でもね、見てて!」と言い途端にブランコを揺らし始めたのだ。
驚いた。彼女のブランコの扱ぎっぷりにではない。キャーキャーと10代の小娘のようにはしゃぐその様にではない。
見る見る彼女の身体が大きくなっていく事に私は驚いた!驚愕した!恐怖すら感じた!ちょっとチビるかと思った。
その時の彼女の身長は私の身長よりも20cmは大きかった。
「ね?宏美。私、おっきくなっちゃった!」
芸人マジシャン、マギー審司の口調を模しておどけてみせた。私は笑った。
おかしかったのはその彼女のおどけっぷりにもだったが、状況の異様さ、そして依子の声が大きくなった事で少し低くなっていた事に対してもだった。
むしろその時私は笑うこと以外何もできなかった。笑うしかなかった。涙流して笑った。腹筋つったし。ある意味、現実逃避だった。
今思えば彼女の伸縮はゆっくりと行われるのだからそれなりの時間経過はあったのだろうけど、その時の私は彼女に釘付けでそんな時間経過など気にならなかった。
あれは一瞬の出来事のように思えたが、今となっては「向かいの席の男の子、さっきからこっち見てるよね。」なんていうノリで彼女に伸縮が始まっていることを耳打ちできるのだから随分と私も彼女の特異体質に慣れたものだなぁとしみじみ思う今日この頃。如何お過ごしかしら皆さん。

ハッ!いけないいけない。またちょっと自分の世界に耽っていた。ここでちゃんとしないと誰が依子を食い止めるのよ。しっかりして宏美!
回想に耽っていた私は再び依子に視線を戻すと幾分落ち着いたようだった。ただ彼女が頼んだココナッツジュースが底をついていた。
うむ。依子め。冷やすことで伸縮を食い止めたか。この娘、出来る!カッ!ちょっと目を大きくしてみた。べつに誰も見てないけど。
「あれ?よっ・・・ちゃん。なんか、あれ?おっきくなってない?そんな身長高かったっけ?」
友人である智代の目敏さときたら・・・しかしそんな対応にも依子はすっかりお手のものだ。
「えぇー?知らないの?このジュース飲むとおっきくなるんだよ?」
なに言ってんのー?さぶいんだけどー。ええー?面白いってー。そんな会話が行きかう中私は俯いて笑いを堪えた。
「そこ、何笑ってんの。宏美っ!」
ちっ、一人愉しむことも許さないのか智代め。まったくこの子の目敏さときたら・・・。

店を出た後に依子に聞いてみた。鋭い智代は携帯に無我夢中。
「さっきはどうしたの?なんで始まっちゃったの?」
フフっと笑いながら依子が答える。
「なんかその聞き方ってアレん時みたいじゃない?フフっ。まあいいけどさ。いや、あのねぇ。エビが辛かったの。」

「そんな理由?!ハァ〜。」ため息をつかずにはいられなかった驚愕の事実。
「だってー思った以上だったんだよ?メニュー見た時に書いてあった辛さ度数★☆☆だったのに五つ星だったの!五つ星エビチリだよ!」
「なにそれ〜。逆に美味しそうじゃん。五つ星だったらさぁ〜」
「あ、ほんとだ。」

智代が「五つ星?何?なんの話?」と携帯から目を逸らし聞いてきたので辛かったんだって〜と後ろを歩く智代に返事した。
ふ〜んと智代は差して興味無さそうに再び携帯に目を落とした。智代の顔が携帯の液晶ライトによって遊園地の化け物屋敷に駐在するモノノケのようになっているがそれは心に留めておこう。

その後はお酒でも飲んで帰る?なんて話になったがさっきの事もあったので今日は帰ろうという事になった。
依子と智代は不満そうだった。智代は分かるけど依子のその反応に私は内心むかっ腹。誰の為にだ、誰の。
それから智代と途中で分かれて依子と一緒に帰りの電車に揺られる。
「ちょっとさぁ〜このまんまだとやばくない?その体質。」私の依子に対する心配はあの日から始まったが彼女は特に気にしていないらしいのが次の返事。
「ん〜、まぁ落ち着けば元に戻るしさぁ。ちぃちゃんが心配することじゃないって〜」
なんて能天気!私だったら五分と持たない!だってちょっと興奮したりすると身体大きくなっちゃうんだよ?!
依子の体質はいつから始まったのか分からないらしい。気がついたらそうなっていたと。

1 気分が昂ぶると伸縮が始まる。

2 気分の高揚具合に限らず伸縮速度は一定である。

3 時間経過に伴い伸縮、増大は治まりやがて収縮していくが気分を落ち着けないと増大しっぱなし。

4 伸縮は過程であり結果としては増大というか膨張が適切(?)

5 膨張後の体重や身長は原形に比例する。仮に身長が二倍になったらそれに見合う形へ。

6 何故膨張という表現を使わないのかという疑問に対する返答は「それだとなんかデブいから。」と、依子談。

7 ドラマや漫画ではないので身につけている物の大きさは変わらない。

今のところ私と依子の研究結果はこのような感じ。
然るべき機関の門を叩けば更なる発見が期待され医学の進展にも関与するかもしれない。
しかし依子はそんな事に興味ない。今の依子の心配事は、
「ああー今日ちょっと伸びたから下着大丈夫かなぁ。服は大丈夫そうだけど。この前ブラのヒモ切れたんだよね。」
そんな事でいいの依子!元からほんわかしてるタイプの子だったけどなんだか最近拍車がかかってない?!
なんて私が口にしても彼女はサラリと受け流してしまうので口にはしない上に、「なに、ヒモ切れたって。どんだけ伸びたのよ〜」なんて内心の動揺を悟られないように必死に隠している私が居る。まずい。さっきは私も大人になったわ。
なんて、ほんのちょっと悦っちゃったけど、やっぱりまだその体質に慣れていないわ。がっかりだわ、私。

「うん、あのね、ちょっとこの前好きな化粧品ブランドのサイトチェックしてたの。そしたら秋色コスメがすんごい可愛かったの!もう絶対買いでしょー!とか思って画面を食い入るように見入ってたらいつの間にか大きくなっててさー。気づいたら天井に頭ついてたんだよね。」

え?え?え?どういうこと依子。どういうこと。無理私まだ付いていけてない。
「え、え、それって家で見てたの?」
「うん。そう。」
良かった。会社とかじゃなくて良かった。
部長「依子くん。君、ちょっと大きいよ。」
依子「すみません部長、目立っちゃって。」
部長「いや、いいんだ依子くん。身体的なことに対して、私も軽率だった。すまない許してくれ。」
依子「いえいえ、そんなそんな・・・」
部長「お詫びと言ってはなんだが、今夜、どうだね。夕食でも。」
依子「え?・・・え?」
部長「大丈夫だ。君がもしも大きくなってしまっても安心なように天井の高い店を選ぶから。」
依子「優しいんですね部長。素敵です。是非ご一緒させて頂きます。(はぁと)」
そして部長と依子は只ならぬ関係になり私に後ろ指を差され行く行くは部長の奥さんに背中から果物ナイフで刺され、

奥さん「何よこんな若い子のどこがいいのよ!ちょっと大きくなるだけじゃない!あたしだって、頑張れば・・・」
部長「無理だよ君枝!!お前がこの子のようにブラヒモ切れるわけないだろ!私はこの子のそういう部分に惹かれたんだ!」
依子「やめてくださ・・い、部長、あたしがいけないんです・・・大きくなる事を想定してブラをもうスリーサイズぐらい大きいものにしておけば・・・」
部長「すまない依子くん、こんな事になってしまって・・・さっき部下が救急車を呼んでいたから大丈夫だ!見舞いの品はスリーサイズ上のブラでいいんだね。」
依子「そ、そんなお気遣いを、、す・・・すみません・・・がくっ」
部長「依子くーん!依子くーーーん!!!」
奥さん「とんだ茶番だわ。」


・・・ハッ!!!いけない!私またやらかしてる!吊り革に掴まって突拍子も無い妄想を!!!
気を取り直して慌てて依子に聞いてみる。今結構、重要なこと話してるのに時折どっか意識飛ぶのよね・・・。

「え、で、でもさぁおっきくなってったら、視点も変わってこない??どんどん見下ろす感じになるよねぇ?それで普通気づくじゃん。」
「それがさぁ〜ほら、あたしって嬉しいと目瞑っちゃう癖があるのね。キャーって騒いだ瞬間までは目開いてたんだけどなぁ。」
「・・・で、次目開けたら天井に頭ついてたの?」
「そう。なんかビリっとか言ってなんか裂ける音に気づいて目開けたのね。そしたら見覚えないのよ目の前が。あたし驚いちゃった。」
「そりゃ驚くでしょ〜」
「で、ブラ切れてた。てか服も裂けてた。その音だったのよねぇ〜あれって。それで首が、なんか窮屈だなぁって思って、そっかあたしまたやっちゃったんだって思ったの。」

怖い。正直、依子のマイペースっぷりが怖い。でも気づいたことがある。推測するに恐らくそれは短時間の間に起きたことだろう。
極度の高揚があるとどうやら伸縮速度も変化するらしい。今まで一定だと思っていたけど、どうやら境界線があるらしい。
ただそれがどこから加速的になっていくのかが分からないのが今後の課題な気がする。
いや、不安なのは今後その境界線ももしかしたら変化があるのかもしれない。二日前まではここまでは普通の速度だったのに〜なんてことも・・・あわあわあわ・・・。

「それで戻るのに結構時間かかったし、なんかちょっとしょぼーんってなったよねぇ〜。まぁ仕方ないんだけどさぁ〜」
なんてゆるいんだろう!憤慨すら感じた私だったが次の瞬間にそんな事はどうでもよくなった。
あ、また、依子・・・始まってる。

「ちょっと、依子!なんか、また?!」
「え?あれ?え?なんで??あ!」
「なに?」
「あたし今までの話の中でブランドのサイトチェックしてったって言ったでしょ?」
「うんうん。」
「その時ちょっと思い出して・・・」
「あ、その秋の新作を?」
「そう!それでちょっとなんか嬉しくなっちゃって・・・だからだ!」
「だからだじゃないよ!」

落ち着く方法として最近知ったのは数を早く数えてみること。
友達に貸してもらったDSの脳トレで知ったので実行してみよう。と依子に教えた。今飲み物持ってないし応急処置だ!
「12345678910、12345678910、12345678910・・・」
ぶつぶつと依子は数を数える。11、12、と10以降の数字も読み上げた依子は「言いにくっ」と呟いたので、
じゃ、10までで。それを繰り返して。と指示しておいた。
効果があるのかどうかは分からないが、せめて駅の改札抜けるまでは、伸縮よ、どうか穏やかに!と願う私なのであった。


散文(批評随筆小説等) 「宏美の心配」 Copyright 菊尾 2008-10-11 00:52:17
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