詩で遊ぶ方法を考えてみる 〜合唱経験者の妄想〜
北村 守通

 これまで稚拙な文章ながら、合唱曲に取り上げられている詩について紹介させて頂いていました。『合唱曲へのご招待』としながらも、曲想とかについて紹介ができていなくって、詩がどの様に音楽によって新しい動きを展開していくのかをお話できていない、という点もございますが、これまでお読みいただいたり、更にはコメントやポイントを下さった方々にまずはこの場を借りて御礼申し上げます。まだまだ紹介させていただきたい合唱曲およびその中の詩があるのですが、今回はちょっと閑話休題です。

 さて、詩という二次元的な存在を(紙面の上の文字、という意味で)3次元の存在に変換しなおす為に、人々は様々な方法をとっている様に思います。それは例えば朗読であったり、歌であったりします。合唱もその一つと言えましょう。そして、合唱がそうした変換の手段として特異なのは、「複数の人間が同時に」声に出して、詩を3次元に変換していることであると思います。また、その声の出し方(発声)や、旋律についても独特のものがあると思っています。

 これまでは、この内の「発声」「旋律」というものに着眼し、「通常の会話で使う声とは違う声で、違う音の高さで」ということをコンセプトに『ガセオペラ』あるいは『オペラ風朗読』といった形での朗読を試みてきました。(「オペラを冒涜している!」なんておっしゃらないでくださいね・・・)色々なご意見を頂きましたが、この方法、やってみて自分に合っていたな、と思っていたりします。そして、今は自分の詩でしかやっていませんが、許可が降りれば他の人の詩もこの『ガセオペラ』で3次元変換できればな、とかあるいは『ガセオペラ』が一つの表現方法として他の方々にも使われるようになったらな、等とおバカなワタクシは夢見る夢男くんになったりしてみるのでございます。

 更に、最近・・・

 「複数の人間が同時に」ということで何かできないかなぁ・・・と妄想したりしています。ワタクシが無知でしたらば大変申し訳ないのですが、現在の朗読は単独で朗読が行われるのが基本かと思います。しかし、これがですよ・・・1000人の老若男女の朗読者が一斉に同じ詩をひとつのステージで朗読したとしたらどうでしょう?・・・1000人は大げさすぎました、例えば20人くらいではいかがでしょうか。一斉に、といっても声の高さでパートを分けておき、読む順番を指定したり、掛け合いとなる箇所があったり、全員一斉で同じところを読んだり、フォルテッシモやピアニッシモを使い分けたり、即ち、「歌の合唱から音階を抜き取ったもの」の実現です。
 
 一人の朗読も大変魅力的です。
 でも、合唱は 1+1=1 を創り上げたり、=10 を創り上げたり、 =−4 が創り上げられる世界です。合唱とは没個の世界ではなく、個の集まりが個を創り上げる世界です。きっと一人の朗読とは違った魅力を持った、別の方向性を創り上げられるんじゃないか、って妄想しています。

なんだかここで書いていい内容なのか少し心苦しいところもありますが、(そして既にそういう表現方法は定着しているよ、と指摘されたとしたら大変恥ずかしいのですが)頭の中で渦巻いている雲の重さに耐えかねて、体が勝手にこいつを打ち込んでしまいました。

こんな詩の遊び方、いかがでしょうか?


散文(批評随筆小説等) 詩で遊ぶ方法を考えてみる 〜合唱経験者の妄想〜 Copyright 北村 守通 2008-09-26 02:44:04
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