名前
セルフレーム
昨日、私は母校のブランコを見ていた。
揺れる姿はまさにブランコ・・・
でももし私が生まれて初めて「ブランコ」という物を見たら、
果たして「あ、ブランコ」と思えただろうか・・・
「なんか蒼くて揺れるもの」
「人が座って揺らすもの」
くらいにしか考えないと思うのだ
語源は「ぶらん」「ぶらり」とか、あとその他もろもろ・・・
あるそうだが。
「ブランコ」という「名前」の先入観があるからこそ、人は「名前」で呼び、
「名前」で認識するのだが、
「名前」がなかったら・・・世界の全てのものは
ひとりひとりに命名されてしまって、
ひとつのものに約65億もの「呼び名」がつけられてしまう!
たとえば、そんな世界になってしまったら、私たちの会話は・・・
A「おい、お前の『小さくて便利で誰ともすぐ連絡できるもの』は?」
B「はあ?何だよそれ」
A「これだよコレ!」(その物を取り出す)
B「はあ!?これは『何処にいても人と会話が出来るもの』だろ!」
A「お前何言ってんだよ」
ってなりません・・・?
「小さくて便利で誰ともすぐ連絡できるもの」=携帯電話
「何処にいても人と会話が出来るもの」=携帯電話
なのです。
っていうかこんな世界だったらまず携帯電話はできない。
「名前」は、「もの」を「もの」として認識するための「もの」。
「名前」という先入観があるからこそ、
「もの」で溢れかえっているこの世界が成り立っているのだ。
・・・と、
そんなことを日々考えている「セルフレーム」がお送りしました。