ALICE‐不思議ともう一つの国‐
愛心

あたしはウサギを追い駆ける

可愛い服の替わりに
制服のスカートの裾なびかせて
お人形の靴の替わりに
汚れたローファーで地面を蹴って
金髪なびかせる替わりに
肩までの黒髪なびかせて







赤いチョッキに茶色のチェックのズボン
透けるように白い肌 赤茶の瞳 薄い茶色のくせっ毛 そこに生えた長い耳 

可愛らしい顔をした彼は 
あたしがお守りとして持っていた
ネックレスのような金時計を
嬉しそうに見つめ ひったくり

赤いスカーフをなびかせ

部屋の鏡の中に飛び込んだ



返して 

それはあたしの時を 司ってくれる物

返して

あたしは鏡に飛び込んだ










途中でミルクの替わりに
涙を紅茶に淹れてる一団に出逢う



『どうしたの?』

『ウサギを助けてあげて』

顎鬚を生やした三月ウサギは
しょっぱい紅茶を飲み干して

『彼は』

若い帽子屋は
涙で丸くなった角砂糖を口に含み

『独りぼっちなんだ』

どす黒い隈を作った
眠りネズミが呟いた

『ずっと 君を』

三人が懇願するように言った

『アリスを 待ってるんだ』





あたしは涙の霧に耐え切れず
すすり泣く三人から離れ

金時計の音 頼りに

走り続けた



何を言ってるの?

あたしは 時計を お守りを 返して欲しいだけ

《助け》って なに?










途中自分を傷つける
苦しそうに微笑む少年に出逢う

長い爪は赤く染まり
小さな身体は 傷色に染まっていた



『何故 自分の身体を傷つけるの?』

ハンプティ・ダンプティは笑う

『こうすれば 泣かないからさ』

尖った爪で腹を割き

『生きてると実感できるからさ』

滴る赤い液体を見つめた

痛々しい香りに 涙腺が刺激される

『ウサギは どこ?』

ハンプティ・ダンプティは手の甲で
あたしの涙を拭った

『君を求めてる彼は』

そっと 遠くを指差した

『あの むこうだよ』

ハンプティ・ダンプティの顔は

あまりにも寂しくて

辛くなった




あたしは掠れ声で

『ありがとう』



走った



何なの?何なの?何なの?

ウサギは 彼は あたしを

あたしは 彼を

モトメテル?










途中膝から下が消えた
少女に出会う

染めた色をした ばさばさの長髪
白い顔 金色の瞳



『どうしたの?』

チェシャ猫は何も映らない瞳を
こちらにむけ 呟いた

『わたしは わたしを 殺してしまったの』

下半身が消える

『だから これは罰なの』

臍から下が消える

『ウサギも もうすぐなっちゃうよ』

胸から下が消える

『彼は探してるの 自分を摑まえてくれる人を』

腕が消える

『金時計が 止まるまで ずっとずっとずっと』

首から下が消える

『摑まえてあげて ね?』

顔が消えていく

『そして 連れてってあげて』



あたしの目の前で チェシャ猫は 消えた











この世界の住人は
むかついて 楽しくて 明るくて
そんな どうしようもない住人だったはずだ
なのに なんで

『こんなにも辛くて 苦しくて 悲しくて 優しいの?』



あたしは走る 
走るよ 走る から
もう悲しまないで 苦しまないで 
ウサギはあたしが 摑まえる 救い出すから










途中たった一人でクロケットをする 
無表情の女性に出会う

大きな身体と くるくると巻かれた茶髪を かさかさと揺らした



『何故 一人なの?』

ハートの女王は掠れた声で

『アタシが嫌われもんだからさ』

ボールを叩き

『アタシも独りぼっちだけど あのウサギみたいに』

汗を拭い

『求められることも』

軽く咳き込み

『同情されることも』

胸を押さえた

『何もないんだ』

彼女はあたしに向くと あたしの向こう側を指した
そこにいたのは ぼろぼろな赤と黒の服を着た 子供たち

『アタシの指令なんだ』

『アタシの大好きな色に塗り替えられるまで』

 白い薔薇が子供たちの涙によって 赤く染まっていく

『薔薇も 子供たちも 眠ることはない』

この人は なにが したいの?

『傲慢』

『知ってるよ』

彼女が口元に 微笑を浮かべた

『アタシらは あんたら現実に住む者の 黒く渦巻く感情を 貰ってんだ』

『……嘘だ』

『アタシらは底抜けに明るかったからね』

かった・・・
過去形の言葉に 胸が痛い

『ウサギを探してんだろ? 人間のお嬢ちゃん』

あたしは 頷く

『裁判所だよ 薔薇の向こうだ』

子供たちに目を向ける

赤く腫れた目 棘で傷だらけの掌





『ごめんなさい』





あたしは やっと気付いた
この世界の住人が優しいんじゃない

『あたしたちのせいで 優しくならなければ いけないんだ』



座り込む

あたしは もう 辛すぎて 動けない










『立ち止まるな ちゃんと摑まえてやんな』

彼女があたしを引き上げる

あたしはふらつく足で 精一杯地面を踏んだ



あたしは走る
子供たちの 虚ろな瞳を背中に受けて


薔薇の棘が 皮膚を裂く

心臓が 沸騰した血液を 身体中に送る

喉が焼ける 目の前が霞む


なんて遠い 


いつまで走っても 届かない


彼の手





でも

それでも構わない




ウサギを捕まえた瞬間 あたしの身体が壊れたとしても

あたしは ウサギの望みを みんなの望みを

叶えてあげる





傷はあたしに

痛みもあたしに



あたしに ください















何もない野原





駆け抜ける間 思い出すのは



しょっぱい涙を飲み込む 
三月ウサギ
帽子屋
眠りネズミ



自分を傷つける
ハンプティ・ダンプティ



自分を消した
チェシャ猫



独りぼっちな
ハートの女王



眠りを求めて働く
トランプの少年少女










『ここだ……』

あたしの目の前に 小さな館が現れる



あたしの背丈程度しかない扉 

軽く触れただけで開いた





『ウサギ……?』



積み重なった本の山

キラキラと 夕闇に染まるステンドグラス



その光を纏った 少年


安楽椅子に座り こちらを向いた



【摑まっちゃった】

にっこり笑い 金時計をかざす

【もうすぐ止まっちゃうね】

【どうする?】

『貴方を摑まえて 貴方と みんなの望みを叶えるよ』



彼が眉根を寄せる
そして 意地悪く 悲しそうに笑った

【君は 僕らをこの世界から 出す代わりに 自分がこの世界に残ってくれるの?】

あたしが 残る……?

【一人で痛みの全てを 受けるつもり?】

【この世界で 死 はないよ 一生 永久に 生き続けるんだよ】



ウサギがあたしに歩み寄る
あたしの目線ほどの身長


ちゃらり


金時計を あたしの目の前に突き出した

【止まる前にこれを取れば 元の世界に戻れるよ】

時を一秒ごとに刻み あたしを追い詰める 金時計の細い針

【どうする?】

高い 微かな迫り来る針音

あたしは覚悟を決めた



彼の手ごと 金時計を掴み 


ぐいっ


こちらに引きよせ 強く 抱きしめた

『ウサギだけは あたしが救い出す』

金時計は ウサギの小さな 白い手の中
彼は あたしの腕の中





我侭で愚かなあたしが残るのか
純粋で淋しがりなウサギが残るのか
どちらも残るのか
どちらも残らないのか





どうなるかなんて 誰も知らない










運命に身を任せるように 強く目を閉じた





あたしの瞼の裏に



微かだけど



みんなの笑顔が 見えた









ほら

摑まえたよ?


自由詩 ALICE‐不思議ともう一つの国‐ Copyright 愛心 2008-09-05 23:25:32
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