秋田で、秋田の詩集を2冊いただきました。
その内の一つは秋田県現代詩人賞や『詩と思想』新人賞の候補に挙がったこともある田口映さんが編集の「北の詩手紙」です。
「北の詩手紙」は、下は19歳から上は70歳以上の方が参加する同人誌で、秋田県出身の詩人で構成されています。今回はゲストとして、秋田県出身の詩人で『詩と思想』新人賞の候補でもあったフユナさんを迎えています。
先頭に掲載されている19歳の藤村美樹さんの「米研ぎ」で使われている擬音語とも擬態語ともつかない言葉にまず驚かされます。
「米櫃から米をしゃらんしゃらん 落とす」や、「水をまわすと米がポロンポロン コロンコロン鳴る/白濁したその水の中に 私は手を浸し/秋田へ想いを募らせる」の、川の中から貝を見つけるような手の動きも魅力的ですが、故郷を思う以下の一節は圧巻の一言でした。
じゃりじゃり 米をとぐ
下に沈んだ秋田米が見たくて 水をまわす
くるくる うっすらと水が白む
くるくる 米が見えてきた
くるくるくるくる 米がまわる
私の心も くるくるまわる
だんだん心は秋田へ向かい 米に抱かれて秋田に帰る
詩の中に秋田(あきたこまちを含みます)が9回も出て来ていることが弱点で、もしも秋田が3つになったときにどんな人がでてくるのだろうと今から楽しみになります。なんとなくPCでタイプしたかのような硬さがひらがなや漢字の選び方に出ているのが気になるけど、私だけだと思います。
米の小さな粒が水のにごりとともに広がって自分にまで届いてしまうのは普通の人では書けないイメージです。
この詩集の中で一番楽しめるのは田口映さんの「樹々のみどりに」と「クモノス」でしょう。
「こえ」・「いのり」・「こども」・「手紙」・「河」という5つの部分からなりたつ「樹々のみどりに」は木もれ日の中を散歩しているような気分になるほど文が澄んでいます。
「いのり」の中の「祈るとは/折ること/いっぽんの緑を/折りとること」や「手紙」の中の「 (皮膚はいっしゅんで理解する//瞳を閉じ/葉裏に 指を走らせ」などという空をなぞるような筆の進み方が刺激的ですが、中でも「河」はたった13行で非常に大きな命を感じます。全部引用しても怒られないから引用します。
いっぽんの ブナの樹は
空へ走る いっぽんの河
血管に 吹き付ける風を聞き
太陽のくちづけを受けてきた
(一枚の手のひらにも 一本の樹木が立っている
ブナの樹の いちまいの葉脈は
風に踊る ひとすじの水系
いのちの水脈に 耳を澄まそう
(筋立ったいちまいの緑 指先になぞりながら
組曲のような「樹々のみどりに」に対して「クモノス」は一つのストーリーでできています。
クモノスは学校の迷い込んだ小鳥が校舎の天窓に入ったヒビです。
外に出そうと追いかける子供たちの前で、小鳥は一気に空に逃げ込もうとして天窓にぶつかり、落ちたのです。
子供たちの善意がそのまま死という結果に終わるドラマと窓に入ったヒビから入ってくる乱反射した光の対象がまぶしいです。
夏空には
放射状にヒビワレがはしった。
その小さなクモノスは
キラキラと陽射しを弾いて
時折 眩しさの裡に
パリン。という音と
小鳥の羽ばたきが聴こえた
この詩の、いかにも起承転結が作り物に見えてしまう構成は弱点で「視える物と視えないものとの狭間」は十分に追求した方がいいと思うのですが、「クモノス」の光の網に小鳥の命と死の瞬間がこの詩の中では確かに捉えられています。
詩の他にも参加者によるエッセイも掲載されており、この中では、死期の近いと思われる知人が突然ご自身の家にやってくるという白木絵里さんの「懐かしい」というエッセイに胸を衝かれます。
何年も何年も前から変わらぬ通りを車の中から見るM岡さんは、一つ一つ店や工場を見つけて、自分の記憶のままのの通りに「なつかしいなぁ」と呟きつづけます。死を前にした挨拶まわりの中で、M岡さんが自分で死期を選んでいるのではないかという白木さんの視線の暖かさを感じられます。
彼女の「木」という詩は「桜の木の下に埋まる死体」という文学的なら一度は見ている言葉にインスパイアされて作られた非常にシュールで演劇のような詩です。
なにぶん参加者の数7人と多く、年齢層も広い同人誌なので、2000文字くらい書きたくなる詩もあるのです。
それでも、秋田県内の詩のシーンを概観するに、「北の詩手紙」はかなりレベルの高い同人誌だと思います。
改めて編集をされた田口映さんはすばらしいなと思うしだいです。
価格は500円。
購入希望の方はコメントに書いていただければ連絡を取りたいと思います。