Nemo
二瀬

前髪が濡れていて、うまく夜風に
流れてくれないのを感じながら
腕を軽く上げた先の
線香花火に、視線を戻した


断末魔の産声が
チリチリと聞こえていたはず
かつての夏の夜
赤い輪郭を伴った黄色の雫が
照らす、私達の白い足下

本当はこれで、十分だった

暗く狭い夜空が
彼岸花の茎の放物線を辿るように
駈け抜けていく、
重い光の繊維に広げられて

次に解放される赤い花びらなんて
受け取りたくもない

あなたが子供みたいに
顔を紅潮させている横で、
額に垂れ下がる影の隙間から
暗く、憧れてしまうから

あれが
心の、闇に消える瞬間ならばと


『ずっとこっちを見ていれば良かったのに』

バケツに注がれた水面、ぽつぽつという声の持ち主の方に
振り向く、出来うる限りの力を眉間に込めて、言った

私はあなたを知らないのだから、と
泣きだす前の線香花火で
喋る表面を照らし出そうとすれば
『私を見つけられない』
その言葉が脳裏を火薬の破裂音と共に駆けて
私を呻かせる、そうやって幾度も
思わず墜死させた光、たちの遺言を
語られてしまうより先に、
暗い奥底から覗き込んでくるその人を、すすっと
切り裂いておく

『二つの船が、私達を横切っていくね
 何の代償も払う事なく
 実体のない人達が目覚める深い夢の、底だけを
 ただ避け続けながら、だから、
 私はまた生きてしまう、君の仮称の名で』

それは
灯火を一つ落とす度に
水面の人がほんの僅かに
顔を曇らせ、さようなら、
が成立する前に波紋に濁され
初めましてと
すかさず公人たちは義務をかかさず
私は
雨の強さを量るすべを忘れた
からだ

まぶたと
結んだくちびる、
耳をふさぐ両手は、私じゃない
私とは呼ばない

死んだ私を必死に揺すった、あの時あなたはどう思っていたの

カタカタと無機質な音だけが問いただされて、
黒光りしながら揺れる、帯の狭間より
指から剥がれ落ちた線香花火を拾う、幾度も
幾度も、
私の意志にすら従わないものを

それだけに、すぎな
かった

火を点けるすべだけは
生かしたまま
雨のように親身な他人事が、降り続けていた
ひたひたと私を包む外被を犯すだけ
決して指先の重さに触れや、しない


自由詩 Nemo Copyright 二瀬 2008-08-23 15:26:00
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