詩人のシノギ (薄田泣菫の巻)
みつべえ

 わがゆく海


わがゆくかたは、月明りさし入るなべに、
さはら木は腕(かいな)だるげに伏し沈み、
赤目柏(あかめがしわ)はしのび音に葉ぞ泣きそぼち、
石楠花(しゃくなげ)は息づく深山(みやま)、――『寂静(さびしみ)』と、
『沈黙(しじま)』のあぐむ森ならじ。

わがゆくかたは、野胡桃(のぐるみ)の実は笑みこぼれ、
黄金(こがね)なす柑子は枝にたわわなる
新墾小野(にいばりおの)のあらき畑、草くだものの
醸酒(かみざけ)は小甕(こみか)にかをる、――『休息(やすらい)』と、
『うまし宴会(うたげ)』の場(にわ)ならじ。

わがゆくかたは、末枯(うらがれ)の葦の葉ごしに、
爛眼(ただらめ)の入日の日ざしひたひたと、
水錆(みさび)の面(おも)にまたたくに見ぞ酔ひしれて、
姥鷺(うばさぎ)はさしぐむ水沼(みぬま)、――『歎かひ』と、
『追懐(おもいで)』のすむ郷(さと)ならじ。

わがゆくかたは、八百合(やおあい)の潮ざゐどよむ
遠つ海や、――あゝ、朝発き(あさびらき)、水脈曳(みおびき)の
神こそ立てれ、荒御魂(あらみたま)、勇魚(いさな)とる子が
日黒みの広き肩して、いざ『慈悲』と、
『努力(ぬりき)』の帆をと呼びたまふ。


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 薄田泣菫(すすきだ・きゅうきん)は、蒲原有明とともに文語象徴詩の大成者とされている。象徴主義については「上田敏の巻」で学習したが、少年の頃の私は象徴主義とは漢字のフリガナを格好良く付けることだと信じていた(笑)。明治大正の詩は大概そうなのだが、象徴詩はとりわけルビが多い印象があって、読みづらく難解だと感じていたものだ。もちろん泣菫の詩には、異国の詩法と母国語との葛藤の末に見いだされた独自の境地がある。だからいまでは、全篇にわたって打たれたフリガナは詩作の苦闘を物語る傷跡のように思えて、いとおしい。
 
 冒頭に引用の詩は、きっかりとした七五調でありながら魅力にとんだ音をだす言葉の連結と、均整のとれた絵画性が特徴的な作品である。ちなみに「腕だるげに」の「腕」は「うで」ではなく「かいな」とフリガナされている。そうでないと七音にならない。ルビをふるのは音を律するための工夫でもあったのである。「寂静」は「さびしみ」、「沈黙」は「しじま」、「休息」は「やすらい」、「爛眼」は「ただらめ」、「追懐」は「おもいで」(以下省略)、と読むようにルビで指示されている。つまりルビなしでは、この詩を本当に味わうことはできないのである。とてもステキだ。声にだして読むと、なおよい。現代詩フォーラムのルビ機能で試してみたかったが、収拾がつかなくなりそうなのでやめた。むかし、マネをして、奇天烈なルビを付けた詩を、無闇につくった時期があったことを思いだした。
 この詩の正確な表記は、「白羊宮」(http://school.nijl.ac.jp/kindai/CKMR/CKMR-00075.html)を参照のこと。

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 薄田泣菫(1877〜1945)は、岡山県浅口郡大江連島村、現在の倉敷市連島村に生まれる。岡山県尋常中学校を中退後、1894年に上京、夜は塾で漢学を学び、昼は上野図書館(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%9D%E5%9B%BD%E5%9B%B3%E6%9B%B8%E9%A4%A8)に通って古今東西の書物を独学する。1897(明治30)年、文芸誌「新著月刊」に投稿した詩が入選、絶賛され、詩人としての道を歩みだす。1899年に詩集「暮笛集」、1901年に「ゆく春」、1905年に「二十五弦」、1906年に「白羊宮」を刊行、いずれも好評を博す。やがて生計を立てるためなのか詩作を断ち散文に転じる。一時小説をかいたが、うまくいかず大阪毎日新聞社に勤めながら随筆をかきはじめ、夕刊に連載した「茶話」で随筆家として盛名を得る。1945年、没。68歳。

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 泣菫は、図書館に通って独力で学問を身につけたらしい。この話で思いだすのはイギリスの作家、コリン・ウィルソン(1931〜)で、かれは高校中退後、大英図書館に通って独学し、あの「アウトサイダー」をかきあげた。明治時代の詩人、泣菫はいわば、その先輩といってよい。もっともコリン・ウィルソンが、肉体労働をしながら勉学に励んだのに対して、泣菫の方は親の仕送りに頼っていた。「スネかじり」である。詩集がヒットし有名になった後も、原稿料や印税だけで凌げるとは思えず、折りにつけ生家の援助があったであろう。
 というわけでシノギは、「スネかじり」のち「新聞社勤務」かつ「随筆家」である。食うために詩を捨てたとは軽々に言えぬが、島崎藤村がそうであったように、かれもまた芸術と生活の相剋に懊悩したのかもしれない。


散文(批評随筆小説等) 詩人のシノギ (薄田泣菫の巻) Copyright みつべえ 2008-08-23 14:25:31
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