肉じゃが
かんな
「なんか作ろうか」とか言うから、まじで作れんの、と思いながら口には出さないで、「肉じゃがが食べたいわ」って頼んだ。冷蔵庫開けたら、肉や野菜や牛乳やなんかタッパに入ってるものとか色々出てきたから、意外とまともな食生活してるんね、って言って、麦茶だけもらってパタリと扉をしめた。
六畳か七畳しかない部屋でもこんなにものが無いって感じられるものなんだってくらいに物質が存在していなくて、部屋の空気のほこりやら塵の密度も少ないんじゃないかって思った。思ったら何だかこの部屋に占めるわたしの密度ってかなり濃いわぁって考えたけど、これって日本語として可笑しいな。「可笑しいよな」ってその思考の一部始終を背中向けてるあんたに説明してもなんら返事が無いからちょっと拗ねてたん。
「はい、食べたら」とおもむろにほかほかした肉じゃがの登場。そうして味噌汁の登場、なんと漬物も登場、それでもってご飯の出番はない。「どういうことなん」って言う前に「炭水化物は嫌いだよね」そう普通のトーンで言われたらつっこみも出番がない。ねえ、炭水化物を食べなかったらまず肉じゃがのじゃがは意味がないってことにあんたは気づいていなかったよね。
別にごはんはそれほどわたしのリクエストの重要項目ではなかったけれども、雰囲気的に肉じゃがだけ食べる気分でもなかったし、かと言ってごはんちょうだいなんて言える雰囲気でもそれこそなかったから黙々とじゃがの部分で炭水化物を摂取してみた。
「TVないんね」
「ないよ」
「見ないんね」
「みないよ」
「あんたそんなに無口だったっけ」
「だったよ」
そういえばあんたと会話らしい会話した記憶もないことはないけど、久しぶりに会ったことだし、それなりに会話のネタもあるだろうから、それなりに話してみないって提案は自ずから却下されて、ちょっとその提案が可哀想にもなった。否決された提案は提案で話すのはわたしの自由、言論の自由に守られてる自由だからね、なんて主張するわけでもないけれど、あんたにも話さない黙秘の自由があるからね、なんて説明をしたらあきれた顔してため息ついたのがわかった。
「なにがあったん」
「なんにもないよ」
「皆心配してる」
「してないよ」
確かに世界中の皆が心配はしてないだろうけれども、あんたの親が様子見て来てくれって言ったんよ、なんて説明はしないでもバレてることだろうけれど、つまりはその辺のところがあんたの口からきけないとわたしはこの密度の高い部屋からいつまでも出れないわけで、あんたもいつまでもわたしという密度からは開放されないわけ。
いわゆるプリンになりかけの金髪はどこか乱れていたし、ノーメイクはいつものことなのかわからなかったし、爪はマニキュアの塗るわけでもなく伸びきって欠けていたし、喰うものは喰って、寝ているだろうけれども、どこか生命力というか生命欲にかけたその姿はなんなの。
「なんなの」
「なにがなんなのなのよ」
そう言われればそうね、いきなりいつぶりだかもわからないほど前に会った幼馴染を訪ねて、その生活にずかずかと足を踏み入れて、肉じゃがをリクエストする意味はないよね。ないけれどもこれだけはわかって欲しいことはあるんよ、あんたを心配しているわけではないし、外に出ないでひきこもっていようと自由だし、あんたにその自由を与えているのはあんたの親の金だし、わたしはその親に頼まれてここにいるんよ。
じゃがの最後の一個を口に頬張ったところで時計の針が八時を指して、それと同時に「ちょっとまってて」と言って席を立ってPCの前に向かうあんたの姿を不思議そうに見たわたしは、この部屋唯一の物質がテーブルとPCであることに改めて気づいた。
カタカタカタカタとキーボードを叩く音が響く部屋でひとりぽつんと居残りをさせられたような気分にもなって、幼稚園のときに給食を残して居残りをさせられたことを思い出して、泣きながら生野菜を食べていたわたしのところにふいに現れたのがあんただったと思い出した。
「あんただったね」
「なにが」
「泣きながら生野菜食べてたわたしのところにきたやつ」
「キュウリでしょ」
「そうだっけ」
「あとキャベツ」
「そうだっけ」
「あとセロリとキノコと海藻と、あといろいろ」
「よく覚えてるんね」
「全部かわりに食べさせられてたから」
「じゃあなんであの日だけわたしが泣きながら食べてたん」
「覚えてない」
そう話を切るとまたPCに向かってキーボードを叩き始めた、その後ろでわたしは生野菜を泣きながら食べなければならなかった過去について考えてみていたけれども、思い出せずいらいらして時計に目を向けるといつの間にか八時半を針が指そうとしていた。
いつまでブラインドタッチをし続けるつもりなんだろうと思い始めて、何してるん、ともきけないのは嫌いなものを食べてもらっていた昔が後ろめたかったわけではないけれども、そろそろこの肉じゃがの片付けもしないといけないんじゃないかと食器を持って席を立った。