60歳になったら
ふたば








60歳になったら名前を変えたい
60歳になるまでの名前はもう
意味の零れ落ちるだけのスポンジにして
大事だったものぜんぶいっしょに
タオルのはいったカバンにしまって
円環状に回る電車の手すりに
ぶらさげておきたい

60歳になったら自分とも結婚がしたい
60歳まで格好良いことのまるきりなかった
暮らしを憶えてるだけ全部招待してやって
一度謝った後にお祝いがしたい
その後は二度と謝ったりはしない
60歳になったあの女の子が
庭先で星のクラクションを鳴らして待っている

60歳になったら10代へ話しかけてみたい
20代の長すぎた靴紐と
30代の内側までまっ黒にしたゴム手袋と
40代の細るまで摩っていた棒きれと
50代の地図とシャベルを引きだしから出して
その奥の箱にしまったままだった10代と
夕暮れ屋根に梯子をかけて話がしたい

60歳になったら模様を作りたい
六畳間の床と壁と天井と
染み焦げつきを丁寧に一枚に剥がしとって
見たものや聞いたものを隙間の無くなるまで塗りつぶして
乾くまで待ったら完成の
単純な模様の絨毯になっていたい
テーブルと灯りだけを置いておく

60歳になれたら時計と靴を仕立てておきたい
1分間と1時間の区別がつかない
どちらも同じ長さの針のやつと
世界なんて狭いところでは履けないやつ
買いに行ったお店でばったり会った
60歳になった友達もおんなじことを言う
僕達は60年間の比喩なんかじゃなくて

60歳になったら少しだけ可笑しな名前にしたい
60歳まで生きてる事がほんの少しだけ
似合うようになりたかっただけだから
生きてる事がほんの少しだけ
似合うようになってくれるような
そんな文字がなかったら
そんな文字をつくればいいから









自由詩 60歳になったら Copyright ふたば 2008-08-10 13:23:07
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