消費と言葉の狭間で
紫音
終電に揺られながら
車窓へとため息
様々なものが纏わりつき
雁字搦めにしていく
ただ、生きていくわけにもいかず
とかく社会というやつは無関心に 其処に
主張も理念も思想も無いのかもしれないこの詩に
主張も理念も思想も無い というのは容易く
しかし そういう社会というやつをつくったのは
「若いやつは」と呟く人だったりもする
それを全否定するのは もっと容易く
全否定は己をも全否定することでもあり
肯定を求めているのか
我侭キングダムの皇帝でいたいのか
途方もない速度で己を消費し
それが主体であるのか客体であるのかの別なく
制服を売っているうちに自分を売り
それはきっと資本主義なのだろうと納得もする
呟く人はそれを認めることはないのだろう が
それは彼らが消費の主体であるからなのだろう
私には 主体も客体もない
同時に 主体でも客体でもある
ゴジラの誕生が 核と環境を主題としていたことは自明だとしても
ゴジラを続けたものが それを抹殺してきたことも自明
ウルトラマンも仮面ライダーも
思想は遥か遠景に霞み 美形へと集約されてきた
そうしてきた人が 呟く人の正体
そこに生まれてきたのが 思想も無い人の正体
あらゆるものを消費し 己さえ消費してさえなお
消費することを求められ 自己目的化したオートマシンへと成り果てり
そう愚痴の一つも呟きながら
今日も酒を買い 消費に耽る
主体と客体の融解の最果てに 詩 が存在するからこそ
言葉は苦悶し 痙攣し 消費し 生産される
詩 こそ
主体と客体の究極の在り様だからこそ