詩とかタン塩とかに関するごくシンプルな話
れつら

僕は好きで詩を書いていて、言葉を大切にしているつもりだけど、世間のひとは別にそうでもないらしい。

これは別に絶望するような事実ではないし、みんな詩を書けよとか言葉を大切にしなよとかそういうことを声高に叫ぶいわれはないんだ。きっと言葉以外に大事なものがあるんだろうし、そんなものより言葉のほうがずっと大切だ、なんてことは詩人たる僕やきみが勝手に思っていればいい話で。

言葉が誰かを殺したからってなんだっていうんだろう?言葉以外にも誰かを殺す方法なんて五万と存在している今日に。詩が軽んじられたからってなんだっていうんだ?この世の中には楽しいことが沢山あって、そう、そのうちいくつかは知ってるでしょ?僕は知ってる。タン塩がおいしい、とかさ。

でも僕はきみの言葉に傷つくことがあるよ。鈍感なほうだからさすがに死んだりはしないけどさ。勿論、タン塩を食ってるときに牛のことを思い出せとは言わないよ。美味しくなくなっちゃうから。でも確実にどこかで牛は死んだんだ。それに比べりゃきみが言うことで何かが死ぬことは少ないかもしれない。たとえ死んじゃったとしても、死んだひとのために言ったわけじゃないのに勝手に死にやがって、と思ってりゃいいんだと思う。

でも、君が何かを言うってことは確実に何かが起きるってことなんだ。ティッシュが引き出されるかもしれない。風が吹くかもしれない。ビルが倒れるかもしれない。わかんないけど何かは起きるよ。それだけは覚えておいてほしいんだ。


ところで、ほんとに美味しいタン塩を食べたことが僕にも一度だけあって、それってばもう、革命的と言って良いような出来事だった。それ以来焼肉食べに行くとついタン塩を頼んじゃうんだけど、なかなかあのときの衝撃的な味わいには出会えないね。牛には本当に悪いと思ってるんだけど、僕はもう一度、あの感じを味わいたいんだ。これを読んでる人には、今度是非、いい焼肉屋に誘ってほしいと思う。連絡待ってます



散文(批評随筆小説等) 詩とかタン塩とかに関するごくシンプルな話 Copyright れつら 2008-07-18 02:16:36
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