釣りの進化を肌で感じて
北村 守通

釣りを始めたのは小学三年生の時だった。
父親の会社の裏にある岸壁でコノシロやらニロギを釣った。
元々、網で魚を取ったり水棲昆虫取ったりすることが好きだったので、この新たなる漁法の存在はたちまち私を虜にした。
この"釣り"なるものが淡水でも極めて有効であることを知り、次は当然のこととして淡水での釣りに挑戦した。
当時の家のそばにあった農業用貯水池で鮒を狙ったのだが、それは見事に空振りに終わって、この世界が一筋縄ではいかないものであることを知った。
だからなのか、それからしばらく子供なりに鮒の釣りにのめり込んだ。
"釣具屋"なるものの存在も知り、連れて行ってもらう回数も増えていく。
そんなある時、ショーケースの中に何やら得体の知れない魚の形をした、へんな形の漁具を見付けた。
それがルアーとの出会いである。
即座に釣られた私は、コツコツと道具を揃え、ハウツー本を購入し学業以上に勉強した。
当時、ルアーで釣れる魚として紹介されていたのは雷魚、ナマズ、ブラックバス、鱒類、鱸といったところで、主に淡水での釣りがメインと考えられていた。
海水魚に関しては、釣り方が確立しておらず、ただこれから先には海でルアーを楽しむ時代が来るであろう、ということだけは書かれていた。
大変夢があったので、自分がその開拓者になるんだ!とばかりに積極的に海でもルアーを試してみた。一度だけ磯でカサゴが釣れたのだが、その時は家中大騒ぎになった。
勿論、淡水でもルアーを使って釣りをしまくった。ではその他の釣りはしなかったかというとそんなことはなく、ローテーションを組みながらあらゆる釣りを愛してきた。
こうした多魚種の釣りを四季を通じて楽しむ人が当時は多かった様に思う。
そんな時代から20年ほど経った現代では釣りも進化し更なる細分化を遂げた。
四季を通して特定の魚種のみを狙う、というスタイルが主流になり、その中での縦社会が構築されたり、他魚種を狙う釣り人との対立は更に発展し、無関心、非接触という姿勢に変わっていった。又、ルアーでの釣りは海にもその勢力を瞬く間に広めた。各種の釣りで様々な理論や方法が確立し、今や新しい方法の発見性は徐々に低くなってきている。
勿論、未知の領域はまだまだある。しかし、次のステップ、それも革命的な発見には相当な時間が必要だろう。これは悲観すべきか、夢の休息ととるべきなのか?
詩はどうなの?、と無知な私は素朴に尋ねてみたくなった。


散文(批評随筆小説等) 釣りの進化を肌で感じて Copyright 北村 守通 2008-06-27 01:40:24
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