「問題文」
菊尾

僕は机の前に正しい姿勢で座っている。
君が解答用紙を回してきたので受け取る。前髪の伸びすぎで鼻から上がよく分からない担任教師が言う。
「時間は無制限だからじっくり考えて答えなさい。」
僕は正しい姿勢で考え始める。この問いはなんだ?意味がわからない。前に座る君の後頭部は微動だにしない。担任教師は後ろで手を組んで窓の外の雪景色に視線を向けている。
カツカツと廊下を誰かが歩く音。
座り心地の問題からか椅子をわずかに前へ引く君。
ストーブのオレンジの火が見える。
担任教師は時間が止まったように同じ姿勢で雪の行方を見守っている。
とにかく考えてみるが意味が分からないので意識は外へ向かう。
白いタイルを縦と横の線が規則正しく分割してタイルは正方形に形取られている。四角。床も机も教室も四角が多い。四隅はきっと鋭いから指でなぞったら切れてしまうだろうか。解答用紙も四角い。白い四角の中に見つけた「 」。ああ、これは四角まで後一歩。惜しい。
前を見るとやっぱり動かない君。まるで呼吸も止めているようだ。担任教師も相変わらず。ちょっとの隙間から解答用紙を覗けないかな。
分からない。問題はたった一つだけだがなんの意味があるんだこの問題文。少し横から覗いてみると君の手先は驚くぐらい速い。何をそんなに書いているんだろう。

コチコチ鳴る時計の音がうるさいと思い見てみると針が動いていない。
壊れた秒針が進まずにただ震えている。なんだか今日は集中ができない。この奇妙な問題文のせいだろうか。
タンタンタンと教室の脇の階段を上っていく足音はさっき歩いていた廊下の足音と同一のもの?と思うと再び廊下をカツカツと横切っていく足音が聞こえた。どうやら違うらしい。
担任教師はやはり立ち尽くしている。僕はその後ろに組んでいる手に眼を凝らしてみる。
黒い紐が少しだけ垂れていてグレーの何かを握っているようだ。指先が微かに動いていることに気付く。
そうか、あれは計測器だ。色々な音が鳴っていて気付かなかったけど小さく聞こえるカチカチカチカチ。
・・・計って、い、る?雪がどれだけ降っているのかを計測しているのか?。ここからでは微かにしか見えない指先の動きはカチカチ音と比例しない。速すぎて眼で追えない。
疲れる。追うことに疲れた。カリカリカリカリと前の君も凄い速度で書いている。そっと立って覗いてみると机の上には黒い長方形。解答用紙は白いはずなのに。
・・・違う違う。黒く見えただけで微小な文字が無数に書いてあるそれを黒と勘違いしてしまっただけ。君は書ききれない持論を机に書き始めようとしていた。机がカタカタと揺れ始める。
僕は、何を書けばいいのだろう。僕は席に座りなおした僕の解答用紙は相変わらず空白のまま。
フゥフゥっ・・・暑い。尋常じゃない暑さだ。カチカチカチカチカタカタカタカタ。汗が吹き出て解答用紙を濡らす。
なんなんだろう。何かが嫌だ。得体が知れないこの場所はなんなんだ。
補習だからって来てみたっていうのにこの状況はまともじゃない。
僕はたまらず教室から出ようとした。留年でもなんでもしていいから外へ出なければいけない。・・・しかしドアは開かない。こんなドアなんかすぐに壊せる。僕は力づくで外へ出ようとした。
体当たりをする為に助走を取る。ドン!・・・一回じゃダメか。二回目、、その時肩を掴まれた。担任が僕の肩を右手で掴んでいる。左手は計測器を鳴らしている。
「答えるまで出たらいけないよ。」表情が読み取れないが冷たく担任教師が言った。
奥で君がナイフを立てるような持ち方で鉛筆を握り締め机をガタガタと揺らしていた。鉛筆の芯は粉々に砕け散っているようだった。目眩がした。
とにかく暑いし気分が悪い。汗が止まらない。脱水でも起こしたか?
そもそもこんな担任いたっけ?思い出せない・・・あんた、誰だ・・・
僕は床に倒れた。回る天井と見知らぬそいつが覗き込んでいた。そして気を失った。

雪が降っている。
僕は正しい姿勢で席に座っている。
担任教師が解答用紙を配り言う「時間は無制限だからじっくり考えて答えなさい。」
解答用紙は二枚あって僕はもう一枚を後ろの席の人間に回す。
それはごく当たり前のことのようになんの疑問も抱かないで。
解答用紙にはただ一つだけ問いが書かれている。
「気が触れたのは、どなたですか?」
僕は鉛筆を取り出して答え始める。
担任教師が窓辺に立って計測を開始した。




私の意識もあと僅かなのかもしれない。
午前中から降り始めた雪はかなり積もっている。
カチカチカチカチ。あ、あの人もか。車を何度も木にぶつけながら笑っている。あちらこちらで事件や事故が起きているはずだ。
この伝染病は何が原因なのか他国からによるものなのかもしれないな。
圧倒的感染速度で東京は壊滅的状況だ。さしずめ名前をつけるとしたら狂人病とでもつけようか。安易な名前だがその名の通り、この病?は人を狂わせてしまう。
午前中に少しだけ校内に咲く草花を調べるために外へ出ていただけでこの有様だ。どうでもいいはずなのにこうして窓辺に立って狂人数を計測してしまう。
細菌なら熱に弱いのではないかと比較的健康そうである生徒を集めた。生徒達には混乱を避ける為に何も伝えていない。しかし室内を暖めるとしてもストーブの熱を上げるぐらいしか方法がない。
生徒達に簡単なテストを行ってみた。
症状を自覚している者も何人か居た。どうやらこの病には段階があるようで初期ではまだ大人しいらしい。大人しい内に感染しているらしき者は教室の外へ連れ出した。非情に思えるかもしれないがそうする以外他になかった。
だが困ったことに自覚のない者はここから出て行こうとしてしまう。
先ほどまで正常だった男子生徒もどうやらおかしくなってしまったらしい。幻覚が見えるのか後ろの席に振り返って何かを渡すような仕草をしていた。
そこには誰も居ないのに。
彼は最初からそうだったのかそれとも途中から発症し始めたのか?
・・・もしかしたら私が発狂させたのかもしれない。そんな可能性もあるな。だとしたら私の罪は償いきれないものだろう。
彼は今では一心不乱に机に「気が触れたのは僕です」と書き殴っている。外へ連れ出さねばならない。
私は間違っているのか?何が正しいのかもよく分からない。
そういえば彼が最後の一人だった。もうここに、まともな人間は誰もいない事になる。カツカツカツと廊下を歩く者や階段を降りたり上ったりする者は中期の症状なのか?
同じ動作を延々と繰り返している。
・・・ああ、そうか、私も感染しているのか。この動作が止められそうにない。私は今いったいどの辺りなのだろう?
カチリ。
計測器に映し出された数に私は自分の分を足した。


散文(批評随筆小説等) 「問題文」 Copyright 菊尾 2008-06-16 19:04:18
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