河原の記憶
小川 葉



 もう結婚していて、小さな子供がいても不思議ではないような、女の人が、河原にやってきました。男物のサンダルと、子供用の小さなサンダル、そして薪を一束持って、河原にやって来ました。女の人は、河原に座りこみました。ふたつのサンダルを、きれいに揃えて置きました。薪の束も、サンダルの手前に置きました。両足を揃えて膝を折り曲げ、その膝を両腕でかかえて小さく座りました。そうして女の人は、川の流れを見つめはじめました。なにかの儀式のようでした。
 私は、そのようすを見て、あることを思いました。おそらく女の人は、結婚していて、子供がいたのですが、この川で、夫と子供が水難事故にあい、死んでしまったのです。だから女の人は、ふたりを偲びにこの川に来たのです。死の現場である川は、家族三人で、週末になるたびやってきて、魚を釣り、焚火をして焼いて食べる、そんな思い出の場所だったのに、おそらくその日、お母さんは用事があって(それは同窓会か何かで)、家族と川に遊びに行けなくなり、週末の家族の楽しみといえば、河原で過ごすことなのに、でもしかたがないね、お父さんと子供だけで、遊びに行って来ます、心配はいらないよ、だってお父さんがついてるもの、という次第で、父と子だけで川に出かけたのです。
 その日。下流はとても良い天気。しかし上流では、ものすごい豪雨。そんなことも知らず、男ふたり、父と子は、今日は新規開拓だ、あの中州に渡ってみよう、などと、お父さんも調子に乗り、お父さん、あぶないから、よして、と言う心配性のお母さんも、今日だけはいないことだし、そうしてその日は、よく魚が釣れました。夢中になって釣りをしていると、雨がぽつぽつ、岸に戻ろう、と思ったとき、川の水位が信じられないくらいに上がっていて、それでもなんとか岸に戻れそうだ、と、父は子をおぶって、腰まで水に漬かりながら川を渡って、流れはますます強くなり、中州と岸の、ちょうど中間地点に達した頃、水位は、お父さんの首まで達しており、ついに子供は泣きはじめ、半狂乱となり、父もあわててしまい、あしもとのバランスを崩し、足が水中でふわりと浮き、体が水中で斜めに傾いて、とてつもない流れの力に抵抗できず、それでも子供の腕を離さずに、なんとか泳いで岸にたどり着こうとしましたが、上流から聞こえる、ごおおおお、という不気味な音、土砂を巻き込みながら、怒濤のごとくやってきた、まっ茶色の鉄砲水に飲まれたことにも気づかぬうちに、父と子は、帰らぬ人となったのです。
 悪夢を思いだした彼女は、顔を突っ伏しました。泣いているように見えました。そして私は見たのです。川の流れの中から、彼女に近づく、お父さんと子供の魂を。それらは、かげろうの成虫に身を変えていましたが、その二匹のかげろうは、明らかに、お父さんと子供だと、私は、わかりました。ふらふらと、水面ぎりぎりを必死に飛ぶ二匹のかげろうの様子を見て、私は涙がこぼれそうでした。お母さん、顔を突っ伏して、泣いてる場合じゃない、二人の、二人の魂が、今、あなたのもとへ、と、その瞬間、水面が割れました。二匹のヤマメが、水上にジャンプし、二匹のかげろうを食べてしまったのです。ああ、なんて惨い。二人の魂が、たった今、神のゆるしを得て、やっと、かげろうという、命はかない羽虫に化けて、お母さんと、ほんのひとときの再会を果たそうとしたのもつかの間、二つの魂が宿った二匹のかげろうは、その願いを果たすことが出来ないまま、ヤマメに食べられてしまったのです。私は、とてもやるせない気持ちになり、岩陰に身を隠して、顔を突っ伏しました。涙が流れました。そして自分が考えるべきことは、家族三人の楽しい思い出を想像すること以外にないと考えました。しかしその想像は、さらに私を悲しくさせ、あのときなぜ、上流で豪雨になっていることを、誰かが教えてくれなかったのだろうか、誰かが気をきかせて教えてくれていれば、二人は中州に行かなかったのに。私は、悲しみに疲れ、眠ってしまいました。
「ねえママ、このお魚ね、僕が釣ったの、大きいでしょう」
「ちがうよ、それはパパが釣った、お魚」
「ちがうよ、ぼくだよ、からだの模様が、他のより、少し薄いから、ぼく、覚えてるんだもん」
「どうだって、いいじゃない、それよりパパ、はやくお魚焼いて。おなかペコペコ」
 私は、楽しそうな家族三人の会話によって、目を覚ましました。さっきの女の人、そしてお父さんと子供の会話でした。薪が焦げる匂いがしました。お父さんと子供は、釣りしてるときにはいていた長靴を脱ぎ、さっきお母さんが持って来たサンダルに履き替えました。おそらくは、お父さんと子供が、ずっと上流まで釣り登って行ってしまったので、お母さんは、二人の帰りを待っていたのだろうと思いました。顔を突っ伏していたのは、べつに泣いていた訳ではなく、眠っていたのだなと思いました。そして、お父さんと子供の悲劇もなかったのだと、三人の家族が楽しそうに話しながら、釣ったヤマメを焼いて食べている様子を見て、わかりました。
 しかし、一旦、とりとめのない妄想をしてしまっていた私は、やはりお父さんと子供は、一度死んでいた時間があったことは間違いないと、まだ思っていました。たしかに惨劇があって、そうして何かの奇跡により、二人は生き返ったのだけれども、そんなことがあったとは、二人は知らないのです。なぜなら二人はそれまで死んでいたのだから、死んでいるあいだの記憶はないのだから、知らない。たとえば、自分が産まれる前の記憶、それは母のおなかの中に自分が現れる前の記憶というべきでしょうか、つまり自分が誕生する前とは、死なのです。お父さんと子供にとって、あの惨劇があった記憶、あの惨劇によって死んでから今までの記憶、つまり、こうして家族三人で、ヤマメを焼いて食べている今現在までの記憶はないのです。死んでいたのだから、しょうがありません。
 しかし、惨劇による死の時間があろうとなかろうと、生きている人間は、死の時間をサンドイッチみたいにはさんで、無意識のうちに、生と死のあいだを、行ったり来たりしながら、人間というものは、生きているつもりになっているのかもしれません。そうしてお父さんと子供が死んでいた時間があったことを知ってるのは、お母さんだけです。そのあいだ、お母さんは、二人の死を、じつに悲しんできました。だから今、こうして二人は生き返ったとするならば、おそらくは、その間、次のような二人の魂の移動過程があったと考えられます。
 水難事故による死。死の世界。かげろうに魂が乗り移る。かげろうが、ヤマメに食べられる。そのヤマメを釣った、お父さんと子供が、お母さんの目の前にあらわれた。
 そんなこと、あるものだろうか、と思った私は、はっと、我に返り、家族三人が楽しく焚火をして、ヤマメを食べていた場所を見ました。誰もいませんでした。ただ、そこには、男物のサンダルと、子供用のサンダル、そして薪の束が、きれいに並べられていました。そして、さっき女の人がはいていたサンダルも、お父さんと子供のサンダルに並べて置かれていました。嫌な予感がして、背後を見ると、女の人が淵の底に沈んでいました。私は無力。そう思いました。こんな姿になって、無力。私は、ヤマメ。水難事故で死んだお父さんとは、私のことです。息子もヤマメになりました。そしてさっき、私と息子の魂が宿ったかげろうを、二人で食べました。息子と、ヤマメの姿になって、ひさしぶりの再会でした。そして今、妻も、淵に身を投じて、死んだようです。妻の魂は、いったい、どこに行ってしまうのでしょう。私と息子のように、魂がヤマメに宿って、再会できればいいのですが。
 私たちを捕まえようとする人間の姿(釣り人)が目に入りました。もうここには居られません。気をつけなさい、と、他のヤマメに教えられました。私と息子は、ヤマメの社会を知らないまま、ヤマメになってしまったようです。まだ、はんぶん人間で、はんぶんヤマメみたいなものです。だから、まわりのヤマメは、そんな私たちを、ひどく心配してくれます。
 そろそろ、この場を去ることにします。あの男物のサンダル、子供用のサンダル、そして、たった今、淵に身を投じた、妻のサンダルが、きれいに河原に並べられているのを見納めて、人間だった自分に、別れを告げることにします。息子も、感慨深気に、自分のサンダルを見つめていました。たった今死んだ妻には、ひとこと、謝りたい気持ちでいっぱいです。私は、淵に沈んだ妻の亡骸のまわりを、何度も何度も、泳いで、小さな胸鰭で、頬を撫でてあげました。
 ふと、水面近くを飛ぶ、かげろうに気づきました。本能的に、気づきました。私は考えるよりも先に、水面をジャンプしていました。人間だった頃の記憶は、その瞬間、完全になくなりました。






散文(批評随筆小説等) 河原の記憶 Copyright 小川 葉 2008-06-08 01:54:47
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