「精霊、山の手」
菊尾

「くっそ。最悪だ。道迷った。絶望的に迷ったぞ。
 なんだどっから来た?方角全然わかんねーよ。
 だいたいあいつ、どこまでトイレに行ったんだよ」


「おい」
「え?」
不意に背後から声を掛けられた。
振り返ってみる。

おっさんだ。
どっからどう見てもおっさんだ。
ただ風貌が普通ではない。
黒い毛皮?全身が黒い毛で覆われているようだった。
その上にミノをまとっている。
落ち葉や木の実でコーティングされたミノ。
でも顔はおっさんで頭もハゲている。
七三に分けて隠したいらしいが隠せていない焼け野原。
見るからに怪しい。

「道に迷ったのか?」
「あ、、、は、い。はい。そうなんです。」
「人生のか?」
「いや、ここでの話です。」
「そうか。私も若い頃には迷いに迷って散々悩んださ。」
「いや人生とかそういうんじゃなく」
「散々悩んだ結果がこの有り様だよ!!!」
おっさんは自分の頭を指差した。

「はぁ。あの、僕と同じで道に迷った方ですか?」
「私かい?私は違うよ。私はもう脱却した!煩悩から脱却したのだ!」
「いやこの山道での話しで」
「私はここに住んでいるのだよ。」
「あ、地元の方ですか?助かったー。すいません、ちょっと教えて欲しいんですが」
「煩わしいっていう字に悩むって書いて煩悩だ。」
「煩悩の書き方聞いてないです。どうやったら山出れますかね?」
「私について来なさい。悩める若者よ。」
「いや、あの行き方だけ教えてくれたらそれでいいんで。」
「よし。じゃ座るか。」
「なんでですか」
「おじさんが若い頃にはこの国は色んなものが不足しててなぁ〜」
「生き方じゃないです。行き方です。山の出方です。お願いします。」

おもむろにおっさんは立ち上がるとアゴでクイッと合図した。
とんでもなく古かった。

「あの、どれくらいかかりますかねぇ?」
「君の子供が産まれるまでには出られるよ。」
「あの僕独身です」
「・・・君の御両親が産まれるまでには出られ」
「いや意味がわからないです」
「あっはっはっ。そしたら君は産まれてない事になるものなぁ?
 こりゃおじさん一本取られたなー」
おっさんはそう言って自分の頭をぺチンと叩いた。腹が立った。

「おじさん名前は?」
「山の手だ。」
「山の手?珍しい名字ですね。何をされている方なんですか?」
「精霊だ。」
「あぁー・・・そうですか。」
前を歩いていたおっさんが凄いスピードで振り返った。
「おい!サラっと流すんじゃないよ!今のはもっと食いつくでしょ?!普通」
「いや、もうそれも無くは無いかなぁとか思って。」
「普通まず驚くよね?ね?だって皆驚いたもん今まで皆驚いてきたもの!」
興奮したおっさんから少し加齢臭がした。
「はい、すいません。」
「おじさんの楽しみってそこがミソだから!頼むよ〜田口く〜ん」
「僕田口じゃないです。高橋です。ミソって古いですよ。」
「ん〜?それでタカハシくん精霊のことはもういいのかなぁ〜?ん〜?」
ニコニコ詰め寄ってくるおっさんがウザい。凄くウザい。
名前のとこカタコトで言ったのもウザい。
「・・・精霊って本当に居るんですね。僕びっくりしちゃいました。」
「何がびっくりだ!可愛い子ぶるんじゃない!うちの課の子でもそんな事言わないぞ!」
「なんだよどーしてほしいんだよ!課ってなんだよ課って」
「いや、私は愛妻家でね。」
「聞いてねーしその“カ”じゃねーだろ。もーいいよおっさん早く出してくれよ」
「茶番だな。」
「あんたが言い出したんだろ」
再びおっさんが先頭を歩き始めた。
歩き始めるときちょっとだけスキップして俺と距離を取った。
そこがまたムカついた。

「ところで君は何故この山に来たんだね。」
「・・・途中まで友達と一緒だったんですけどね。友達がトイレから帰ってこないから
 ちょっと様子見にでかけたら来た道が分からなくなって・・・」
「それは君、妖怪「トイレ詐欺」だな。」
「なんすかそれ」
「公衆トイレの形をした妖怪なんだよ。入ってきた人間を食べてしまうんだ。」
「トイレってそこら辺にですよ。友達は男なんで。」
「きさまぁああ!山を汚す気だったのか!貴様らの尿素で山がどれほどの被害を」
「あぁすいません、いや、でもそこまで・・・」
「うん。そこまでじゃない。」
「ちっ。」
「もっと連続でしないと野良猫は寄って来てはくれないぞ?若者よ。」
「野良猫呼んでんじゃないよ舌打ちしたんだよあんたに。」
「さぁそんな事言ってる内に到着だ。」

目の前には大木。太い幹の上には家が乗っている。
木には家に上れるように梯子がかけてある。
「さぁ遠慮しなくていいんだよ。靴は脱ぎなさいね。」
「山の出口だよおっさん!俺が案内してほしいのは出口なんだよ!」
「暖をとっていきなさい。山の夜は冷えるからね。」
「泊まんねーよ!もういいよ!」
俺は一人で来た道を引き返すことにした。

「元々迷っていたのに君は帰れるのかね?すぐに暗くなる。
 悪い事は言わないから今日は泊まっていきなさい。」
見上げると太陽はもう見えなくて空の青さが濃くなっていた。

「マジかよ・・・」
「母さん客人だ!今夜はシチューで頼むぞ!」
家に大声で呼びかけるおっさん
「はぁ・・・なんでこんな見ず知らずのおっさんに・・・」
「母さん居ないのか?おーい母さーん」
「・・・奥さん居ないんすか?」
「今の母さんはそっちじゃなくて実の母親に対しての呼びかけだ。」
「お母さんと二人暮らしなんですか?」
「いや一人だ。言ってみただけだ。」
そう言っておっさんは梯子を上り始めた。
「ちっっっ!!!」
「にゃ〜」
「猫の鳴き真似すんなよおっさん」
そう言って俺も梯子を上り始めた。


「さぁくつろいでくれ。君のくつろぎ具合を見せてくれ。」
「・・・何も無いっすね。」
「無視か。現代の若者の象徴だな君は。私も娘にはよくされていたよ。」
「娘さん居ないじゃないっすか。」
「私の心には残っているさ。」
「妄想得意ですよね。」
木で造られた家の中には小さなテーブルと
どこかで拾ってきたのかボロボロの座布団。
一応窓があるがガラス戸ではなく、
木のフタでパタンって閉められるようにしているらしい。
今はフタを何かに引っ掛けて外が見れるようにしてある。
奥に小さな冷蔵庫が置いてある。電気が通っているのか?

「食べるものとかどうしてんですか?」
「山の中に居る動物達を、煮てさ焼いてさ食ってさ♪」
「歌わなくていいです。そんなに動物って捕まえられるものなんですか?」
「今のは嘘だ。大概はコンビニだ。」
「はぁ?」
「雰囲気出るだろ。そう言った方が。」
そう言っておっさんは冷蔵庫から弁当を持ってきた。
「さぁ遠慮するな。敬遠するな。食べなさい。私の分まで食べなさい。」
「あんたも食べたらいいでしょう。」
「ダイエット中ー」
「キモいっすよ。」
「娘の口癖だったんだ。」

「娘。娘って。なんなんすか?」
「これを見て見なさい。」
おっさんはそう言ってミノから写真を取り出した。
「それ、仕舞えるんすか?ミノの中どうなってんすか?」
「いいから見なさい。」
松たか子のプロマイドだった。
「なんすかこれ・・・」
「・・・すまない。これは私の趣味だ。こっちだ。」
写真には奥さんらしき人と娘さんとおっさんが映っていた。
家の庭で撮ったのだろうか。普通の家族のように見えた。
「あ、これおじさんでしょ?なんだ。普通じゃないっすか」
「10年になる。あの頃の私は若かった・・・」
「ちょっと今よりハゲてないだけっすよ。なんで今山暮らしなんすか?」
「ある日会社にリストラされてね。再就職しようと思ったがあの頃の私は
 自分にしか出来ない仕事ばかり探していた。プライドが高かったんだな。
 結局仕事も見つからないまま私は堕落していった。酒とギャンブルだ。
 退職金が尽きてきた頃、妻と娘は家から出ていった。それからはずっと一人さ。」
「そう、、なんすか・・・」
「フラっとしたくなってね。急に。堕落していた私はどこか遠くへ行きたかった。
 それで気がついたらこの山に来ていた。そこからはこんな生活さ。」
「大変だったんですね。」
「なーに慣れればここの暮らしも悪くないさ。」
「そうっすか・・・。娘さんとかに会いたいとか思わないんですか?」
「・・・会いたいさ。10年だ。娘も成長しているだろうしな。一目だけでも見てみたい。」
「じゃあおじさん。ここに居ちゃダメですよ!」
「そうなんだが・・・なかなか・・・な。」
「大丈夫っすよおじさん。明日一緒に山下りましょうよ!」
「しかし、今更私なんかが会いに行ったところで・・・」
「なーに言ってんすか?!大丈夫っすよ娘さんも会いたいに決まってますって!」
「そ、そうか?」
「そうですよーそうと決まったら今日はゆっくり寝て明日に備えましょうよ!」
「う、うむ・・・。」
「おじさんも何か食べてくださいよ!他にも弁当あるんでしょ?」
「うむ・・・」
そう言って奥から幕の内弁当を取り出してきた。
「おじさん・・・幕の内あんじゃん。普通客人にはそっち出すでしょ」
「・・・いい気になるな!客だからって調子に乗るな!」
「あんたが招待したんだろあんたが!」
「私は高梨くんが不憫に思えたから招待したまでだ!どうせ行き着く場所もなかったろうに」
「高橋だよ!ってかむしろお前が更に俺を迷わせたんだろ!」
「伊集院くん。明日は忙しくなるぞ。食べたら早く君も寝なさい。」
「わざとだろ。」
「木の温もりに包まれて今夜はグッドバイ」
「ダセーよおっさん。いちいちダセーよ。」



翌日起きるとおっさんは居なかった。
「おっさーん?山の手のおっさーん」
窓から見てみたがやっぱりどこにも居ない。
どこへ行ったのか・・・
テーブルを見てみる。手紙が置いてあった。
「あのおっさん便箋と書くもの持ってたのか・・・」
手紙を読むことにした。

「拝啓。お元気ですか?お変わりありませんか?山の手です。
 この度、やっと山を降りる事ができる運びになりました。
 それはと言うのも、全ては君、高橋くんのお陰です。ありがとう。
 私はもうとっくに諦めていたんだ。だが昨日君に出会って
 そして君に励まされて、私はここを立ち去る決心がついたよ。
 君には感謝しても感謝しきれないくらいだな。いやはや参った参った。
 
 ここで一つ君に伝えておかねばならない事がある。
 この山は普通の山ではないんだ。
 ここには恐らく神様が住んでいるのだろう。
 それが良いものなのか悪いものなのか私には判らない。
 私は精霊だと君に言ったがあれは半分本当で半分嘘だ。
 半分嘘と言うのは私にもよく分からないからだ。
 気がついたらこの家に私は来ていた。この家は私が建てたものではないんだ。
 暮らしている内に私の体毛は濃くなっていった。
 しかも着ていた服の上からだ。驚くだろ?
 だが不思議と怖さはなかったよ。そういうものなんだろうと思っていた。
 精霊というよりも私は妖怪の類なのかもしれないな。
 
 それともう一つ教えておかないといけない。
 この山にはルールがある。
 それは山を下りるには
 誰か代わりの者を山へ捧げなければいけないというものだ。
 高橋くん。私も何度か山を下りて家族に会うことを試みたのだよ。
 しかしダメだった。どうしても山から下りられないんだ。
 
 私はこのルールを前の住人から教えてもらったんだ。
 そう。今君が読んでいるこの手紙。
 こんな感じに私も10年前のあの日に知ったんだ。
 高橋くん。ここを下りたければ誰かをこの家に招待しなさい。
 ここで一泊してもらってその人が起きる前に家を出るんだ。
 そうじゃなければ君はここを下りられない。
 それだけは確かなことだよ。

 私が何故山の手と呼ばれているか。
 いや正しくは呼ばれていないがな。
 自分を現す代名詞としてあるのが「山の手」だ。
 山の手になるとそれが分かる。
 人間はなく私は山の手なのだ。という認識が。
 さて由来について話そう。
 東京に山の手線ってあるだろう?恐らくあれが由来だろう。
 あれはグルグルと都内を何周も周る。
 あんな感じに私達はこの山の番人として
 誰かにバトンを渡していかなければいけないのかもしれない。
 それは途切れることの無い輪のように。
 いや、もしかしたら私達は山から出ようとするとグルグル同じ場所に戻ってしまう。
 それも由来の一つなのかもしれないな。
 と、こんな風に私は前の住人から伝えられた。
 山の手という名称は初代の山の手が勝手に名づけたのか
 それとも初代も最初から認識していたのかは知る由もない。
 つまりはよく分かっていないっていうのが本当のところだ。
 
 とにかく高橋くん。ありがとう。
 私はまた頑張ってみるよ。そして、すまない。
 君もその山から出られることを祈っている。

 山の手こと 遠野信彦」


「・・・」
「・・・ ・・・」
「だからあのおっさん無駄に会話長引かせて日が暮れるの待ってたのか。」
「どーすんだよ!俺どーなるんだよ!うわっちょっと俺、体毛伸びてる!」


「追伸 
 コンビニはあれは嘘だ。山の中腹にお土産屋がある。
 そこで賞味期限切れの弁当を狙え。
 弁当もそうだが人を誘うのも難しい。
 皆普通に警戒するからな。私も何度も失敗した。
 それでは健闘を祈る。」


腹が立つがあんまり怒れない。
なんか適当な感じになる。ゆる〜い気持ちになる。
だからあのおっさん、あんな感じの会話しか出来なかったのか。
それがこの山のせいなのか
俺が山の手になったからなのかは定かではない。


「うわっ、本当に服の上から体毛が・・・服から毛生えてるみたい」


「追伸その2
 冷蔵庫は不思議な事に電気が通ってないのに保存が利くぞ。
 それとプリンあるから食べてもいいぞ。」


やっぱりムカつく。


散文(批評随筆小説等) 「精霊、山の手」 Copyright 菊尾 2008-06-01 08:27:37
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